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◆ 広報おきなわ(bR66)
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今月の人 |
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趣味で始めた陸上が日本新記録樹立に |
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<152>與古田行徳さん(65) | |
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四十の手習い、年寄の冷や水、第二の人生、自分探しの旅。高齢者の方が事を起こすときに付けられたりする形容詞である。
しかし、高齢になって何かに目覚め、めきめき頭角を現す人もいる。十月十一日に行われた全沖縄マスターズ、男子65−69歳六十メートルで日本新記録で見事、優勝した方がいる。
今月は與古田さんに登場してもらい、陸上にかける思いやそれにまつわる話などを聞いてみた
背丈はさほど高くない。しかし、筋骨隆々、肩幅の広さ、胸板の厚さ、太ももの筋肉など、どこを見てもひきしまっている。鍛え上げられた体である。
グラウンドへ現れた與古田さんへ早速、陸上競技の世界へ入ったきっかけを聞いてみた。
與古田さんは、あげな小学校、平敷屋小学校など学校長を歴任し、平成十二年に定年退職、今後を楽しく生きるため、何か趣味をみつけようと考えた。自分探しの挑戦の始まりである。
「二十代半ばまで陸上競技をやっていたんですが、職務が多忙になり、泣く泣くやめたんです。それが気がかりでね、又、走ってみようかと思ったんです」。気軽な気持ちで、具志川市の陸上競技大会に六十代で出場、百メートルでいきなり優勝してしまう。「きっかけはそれでしたね、練習すれば、もうちょっといい記録が出せるかも知れないと思ったんです」。そして、自らメニューを組み、練習に打ち込んだ。その分、タイムは縮まった。
昨年の具志川市陸上競技大会六十代百メートルで12秒8の大会記録を樹立。同大会六連覇である。
今回の沖縄マスターズ六十メートルでは、日本新の8秒24で優勝。最優秀選手賞にも輝いた。
退職して、本格的に陸上を始めて、まだ五年目である。陸上に対するこの人の信条に興味がわく。「他者に学び…より速く、より知的に、より美しく」がモットー、「他者の意見を聞く耳を持つこと。他者の技術、力量を観る眼をつくる。練習を創意工夫する知恵をもつ。謙虚に聞く耳、鋭い観察眼、考える頭を養う。そんなことを念頭におきながら、こつこつと練習し、鍛錬を通して、そして楽しく努力を積み重ねています」と話す。
すっと出てくる與古田さんの言葉には経験から得た重みがある。
目標に向かって突き進めば、いつかそれは達成できる。それは年齢に関係なく、人はそれぞれ輝くべく時期があるということか。精神力の強さはさることながら、與古田さんには常に向上心で道を切り開くという信念、そして0・1秒の厳しい現実を知っているからこそ最高峰の舞台に立つことができるという記録の世界を充分、知りつくしているそんな感すら受ける。
最後に夢はマスターズ陸上の全国、世界大会への参加と云い、「夢実現に向け楽しむ気持ちでチャレンジしたいです」と話すと、やっと微笑んだ。
與古田さんの自分探し、新たな挑戦はまだまだ続く。 |
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戦後文化シアター ワーナーさんの写真館 |
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米軍テント(カバヤー)と後方には沖縄の墓 | | 一九四五(昭和二〇)年暮れから翌年二月末日まで米国海軍軍政府のコザ地区事務所に配置されたスタッフ将校・ワーナー氏が、残した嘉間良の写真を紹介する。
白く細い道は、嘉間良の中通りにあたり、奥の三角屋根は、支那事変(日中戦争)で戦死した人の墓である。近づくと左側に碑が建つ。「故陸軍歩兵上等兵嘉陽宗山君之墓碑」と記され、その裏には支那事変殉国之勇士、昭和一四年四月三〇日建立の文字が刻まれている。
「無言の凱旋 盛大な慰霊祭」と題された昭和一四年の新聞記事に名前を見つけた。その日、出身地の越来村の小学校では村葬が執り行われ、村長をはじめ在郷軍人、多くの村民が参列し冥福を祈り勝利を誓ったという。幾度となく人々は勝利を信じ傷悴しきったことか。
ワーナー氏は、何をおもいシャッターを切ったのだろう。(B) |
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連絡先:総務課・市史編集担当 電 話:939-1212(内線2273) | | |
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