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◆ 広報おきなわ12月号(No.378)

今月の人
書のこころとは
初の個展に挑む
<164>神山晴柳【せいりゅう】(律子)さん(46)
神山晴柳個展「書のこころ」が十二月二十三日から二十九日までの間、プラザハウス・グローバルギャラリーで開催される。初の個展で県芸術祭審査員就任、沖展会員(審査員)推挙記念がその主旨だと聞いた。そして市内で書道教室を開いていると。取材のアポをとり、早速、会いに出かけた。個展の準備で少し疲れた感もあったが、気持ちよく取材に応えてもらった。今月は神山さんを紹介する。

書道を始めたのは二十歳頃、「書に対する興味はあったので、それで、何気なく始めたんです」というのが動機。しかし、それからがすごい。物事に対する集中力、意識の高さ、向上心、負けん気が人一倍強いのかも知れない。みるみるうちにその技能が頭角を現わす。平成九年の県芸術展入選を皮切りに読売女流書法展特選、西部朝日書道展入選、沖展奨励賞受賞、さらに平成十二年からは県芸術祭展県知事賞を二度受賞、沖展や謙慎書道会展など数々の賞を受賞、その年に謙慎書道会評議員読売女流書法展評議員、西部朝日書道会会友に就任、翌年、沖展準会員、読売書法会評議員に就任、腕にますます磨きがかかる。

平成十一年に県知事賞を受賞したのがきっかけで師である盛島清先生の進言で自宅に書道教室を開いた。週二回生徒達に書道を教えている。書道に関して「集中力がつきます。学生時代にはまっていた剣道とつながるものがあり、なかなか結果(賞など)が出ないこともあるので忍耐力も養えますよ」とニッコリ。本格的な個展は初めてという神山さん、作品作りに日々奮闘中、その作品の中のひとつ前進あるのみ、楽しくまっすぐ「努力を忘れたらあかんで」「日々新又日新(ひびあらたまたひあらた)前日までの反省をもとに毎日新たな気持ちで行動しよう」それが信条。好きな言葉は「学」「習いごとの上達の最大の方法は基本を忠実に修め学ぶこと」と話しもうひとつは「光、海はキラキラいつも輝いている。私もいつも光っていたい」(願望です)と微笑んだ。信念の強さがひしひしと感じられるが、性格については「典型的なB型です。さらにいのしし生まれです。想像がつくでしょう」と目を細めた。

これからの抱負は「誰にでもわかりやすく親しめる、しかもレベルの高い書を目指して頑張りたい」ときっぱり。個展を目前に、あえて書のこころを聞いた「どの道も同じだと思いますが書も終わりはありません。どの高さまで行けるか自分次第です。公募展の審査員になることは上手になる手段であって目的ではありません。筆を自由に楽しく使えて、品があり、躍動していれば今はOKです。むつかしく言うと「気韻生動(きいんせいどう)」という書が目標かな。生きている今の自分を書で残せたら満足。書は人なりって昔から言いますから」初の個展で書のこころを披露する。
戦後文化シアター
今月のヒストリート
軍刑務所看板前の子供たち(1953年頃)
戦後文化資料展示室「ヒストリート」の第一回企画展「〜マイベリー氏の世界(1)〜 スターケージを知っていますか?」が去る十一月一日より開催されています。元米兵のマイベリー氏が勤務していたスターケージを中心に市内各地の写真四六点を展示。今後数回にわたって同氏の写真を公開していきたいと思います。

スターケージとは、現在のむつみが丘公園一帯にあった米陸軍刑務所のことで、第98警察大隊C中隊のスタッフ約二○○人によって管理・運営されていました。そこはケンカなどで捕まった兵たちが拘置(こうち)されており、マイベリー氏が勤(つと)めていた一九五三年頃は八○〜一○○人ほどが収容されていたと言いますが、詳しい資料がないために同刑務所の正確な建設時期や運営期間などは不明です。

しかし、部隊長宿舎や発電所の位置、メーヌシー(むつみが丘)下のグラウンドで米兵たちが野球に興(きょう)じていたことなど、来室した方々よりスターケージの様子を解明する貴重な情報が続々と寄せられています。多くの市民の皆さまの来室をお待ちしております。
写真について情報をお持ちの方はご一報下さい!
連絡先:総務課・市史編集担当
電 話:939−1212(内線2273)
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