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◆ 広報おきなわ12月号(No.378)

No.4
特集 まちの活性化へ
音楽によるまちづくり
中の町・ミュージックタウン構想
する
音楽市場で扱うのは形の見えない捉えがたい音楽文化です。とてもデリケートで難しいものが対象です。音楽に対して愛情を失うことなく、こまめなケアをして、まち全体で支えよう。
音楽を愛し、自分達の場所づくりを
地元の人が「音楽のまちコザ」を愛することが始めの一歩だと思う
喜屋武 尚 さん
(ライブハウス・モッズ:マスター)
今年で開店20年を迎えた、ライブハウスモッズのマスター。
沖縄はもとより本土の多くのミュージシャンとつながっている人だ。フォーク、ジャズ、ロック、島歌と、さまざまなジャンルを聞いてきた男。音楽のまちづくりにも人一倍熱が入る。
自治体が「音楽」という文化をバックアップする、私たち音楽関係者にはこれほど嬉しいことはありません。戦後からロックやジャズ、島歌まで様々なジャンルの音楽をこの街の人々は愛し、それを独自の文化として大切に育ててきました。今回のミュージックタウン構想というのは本当にこのコザの街の特性を活かしたすばらしい企画だと思います。今、ライブハウスモッズは北谷町美浜に移りましたが、根っからのコザん人である私は、呼びかけがあればいつでもミュージックタウンのお手伝いをしたいと思っています。

私には思い描く理想の風景というのがあります。普段何気なく歩くまち並みの中のどこからでも音楽が自然とあふれてくる、そんなまち並みです。このコザの街が私の思い描いていた理想に今一歩ずつ近づいていくことが嬉しくてなりません。以前ここはストリートライブ一つ出来なかった、それが音楽市場という企画の中で、まだ規制があるとはいえストリートライブも実現してきた、こういった小さな一歩一歩が積み重なって、本当に音楽のあふれる街へと変貌していくのだろうと思います。また、ミュージックタウンを名乗るからにはそうなってほしいと思います。

今回中の町に大きな中核施設ができます。この施設はミュージシャンの様々な活動を手助けしてくれるすばらしい施設となるでしょう。音楽というのは私は「文化」だと捉えています。多くのコザの人々が音楽を愛してきた、そのことこそが重要であると思います。願わくば街に多く存在する既存の店舗と、今回新しくできる中核施設がうまくタイアップして相乗効果で共存共栄できるようなそんな街作りを期待しています。


私見ですが、音楽で街に人を集めるのであれば、まず住んでいる人が生活の中に音楽を取り入れることが大切ではないでしょうか。地元の人が音楽を愛し、その人々が楽しめる場所をつくらないことにはよそから人は呼べないと思います。何よりも地元の人が「音楽の街・コザ」を愛してくれることが始めの一歩だと思うのです。新しい施設が、地元の人たちに愛され、目的が無くてもふらっと立ち寄れる施設になればと願います。そしてもう一つ言い古されていることではあるのですが、駐車場の問題も是非考えていただきたい。魅力あるコンテンツですからその問題が解決すれば、より多くのお客さんを集めることもできるようになると思います。

今回の音楽市場という企画で扱うのは形の見えない捉えがたい「音楽文化」です。とてもデリケートで難しいものが対象です。どうぞ音楽に対して愛情を失うことなくこまめなケアをして、浮き沈みの時も暖かく見守り、街全体で音楽を愛し支え、ますますコザが「音楽の街」として栄えていくことを願ってやみません。

中の町・ミュージックタウン構想
を込める
戦後六十年たち欲しいものは全て手に入る時代に突入した。しかし空気や香りは、その地へ行かなければ体感できない。

ミュージックタウンから魂のある香りを発信しよう。
音楽市場よ、コザの文化のメッカたれ
箱は出来ても魂がなければ、空気や香りは伝わらない
玉 城  満 さん
(笑築過激団座長:市芸術監督)
県内では脚本家、市民小劇場あしびなー館長としても有名、又自らも芸人として登場、新しい笑い多くの笑いを提供・創出している。現在はラジオパーソナリティー、講演活動、司会業など多方面でもマルチぶりを発揮している。
こういう話がある。ニューヨークが経済破綻したときにニューヨーク市は廃墟となったビルを年間数ドルとい安価でアーティストに賃貸した。すると米国各地からあらゆるジャンルのアーティストが集まり、パフォーマンスが展開された。もちろんそれを観に来る観客が集まりだし、かつての廃墟ビルは生き返った。やがてこのビルだけでは対応できなくなり、周りに新たなるシアターが生まれだす。またそれに便乗するかのごとく、飲食店やカフェ、ブティック、ホテル等が息を吹き返し衣食住を支えた。

これがニューヨークのブロードウェイ誕生秘話である。戦後六十年たち欲しいものは全て手に入る時代に突入した。しかし空気や香りはその地に行かなければ体感できない。

中の町ミュージックタウン・音楽市場という箱は出来ても魂がなければ空気や香りは伝わらない。その魂を込めるためには優秀なスタッフが必要であるのは言うまでもない。あらゆるジャンルの文化を創出してきたコザならばきっと出来る。音楽市場よコザ文化のメッカたれ。
沖縄民謡を歌い継ぐ、我如古より子さん
一大イベントのピースフル・ロックフェスティバルは大勢のロックファンで盛り上がる
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