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今月の人
人との出会いを大切に組織の充実、発展を
<151>若柳 賀寿乃さん
平成二年に沖縄市技能講師連盟という組織が結成された。

連盟は会員相互の親睦や資質の向上を図り郷土文化の発展と社会福祉増進のため幅広く活動していくことを目的としている。今月は今年、同連盟の五代目の会長に就任した若柳さんに登場してもらい、技能講師連盟の活動や会長としての思い、意気込みなどを聞いてみた。


市内の師匠クラスの方々が集う同会は現在、十七人の会員で運営している。

会長としての意気込みは、「心のゆとりがないので会長職はお断りしていたんですが、一年の任期ということで引受けたんです。意気込みというより、歴代の会長たちが残した実績を大事に、一つ一つの行事に正面から取り組んでいくだけです」とひかえめだが、しっかり先を見据えて話す姿勢は、自信さえ感じさせるものがある。

若柳さんは前原高校、東京みゆき技芸学院を卒業後、東京の会社に入社、五十三年に伊賀白鳳流組ひも学院師範免許、京都きもの専門学院助教授免許を取得。五十四年に日本舞踊師範資格の認定を受け、同年に若柳賀寿乃日舞研究所を開設する。同研究所ゴヤ教室には現在二十人の弟子らがいる。週三日はけいこ日で、東京での研修会など出張も多く多忙な毎日である。

現在、沖縄日本舞踊協会理事、沖縄市文化協会日本舞踊部長を務めている。

趣味についてたずねてみた。「趣味は舞踊、手芸、園芸、中でも踊りは小学校の頃から好きでした。学芸会の踊りの練習や高校時代のダンスチームでの練習など、現在の私の素地が作られたような気がしますね」と当時を振り返る。性格は明るく、あっさりした性分。日本舞踊については「私の生き甲斐です」ときっぱり、そして「若さの秘訣です」と云って微笑んだ。

技能講師連盟の当面の事業は華道、茶道、日舞の講師が担当する伝統文化子供教室(来年三月まで)、それから十二月に予定している、チャリティ総合文化祭。取組みについては「先輩方の指導を受けながら、話し合い協力しながらやっていきます」と話し、会については「各分野の先生方との出会いを大切に、技を出し合い吸収し、お互いが人間を深めていき、何でも話し合える明るい会へと展望したいですね」と抱負を。

若柳さんのモットーは「心・技・美」豊かな心、素晴らしい技、その人の持つ個性的な美しさ。好きな言葉は「初心忘るべからず」。その言葉通り、発足当時を思い出しながら、前向きに連盟の発展に向け突き進む。
戦後文化シアター
ワーナーさんの写真館
Military government administrative office for Koza district
コザ地区の軍政府管理事務所
写真左の建物は、海軍少尉であったワーナー氏が、一九四五年から四六年二月まで、アシスタント将校として勤務していたコザ地区軍政府管理事務所(キャンプコザ内・嘉間良在)である。終戦直後の軍政府の役割は住民への食糧の配給、仮住宅建設など、災害復興援助が主であった。

幸いにも戦火を逃れたこの家は、この一帯では珍しい二階建てで、一階部分の柱は、石でできた頑丈な造りであった。

この建物を拠点として、ワーナー氏は物質的援助に留まらず、米軍が帰国の際に捨てた映写機やスクリーンを利用して空き地で映写会を催すなど、人々の気持ちを癒す事にも心を砕いたようである。

戦前・戦後と時代の大きなうねりの中で人々の暮らしの変化を見守ってきたこの家は、五七年に建て替えにより姿を変えました。
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連絡先:総務課・市史編集担当
電 話:939-1212(内線2273)
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