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◆ 広報おきなわ(bR63)9月号

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表  紙
今月の人
若い方達にも支持される婦人会活動を
<149>比嘉 洋子さん(59)
このほど市婦人連合会の定期総会が行われ、比嘉洋子さんが新会長に就任した。

市婦人連合会(以後市婦連)は現在、十七の単位からなり、会員数は一千百人。社会の元気の源は市婦連からの合言葉のもと、突き進んでいく。あらゆる事業に欠かせない団体でもある。多くの会員と共に走る新しいリーダー役、前会長の名幸さんからバトンタッチ。今月は市婦連の新会長に就任した比嘉さんに、会長としての抱負などを聞いてみた。


年間、様々な事業があるが、あらゆる行事に参加、協力しているのが婦人会である。そして、その事業の成功の一端を担っているのも、またたしかである。

比嘉さんが婦人会活動に参加したのは昭和四十五年頃。山内婦人会の会員としてスタート。その後、婦人会活動を続け、十年程前に市婦連の役員となり、書記、文化部、広報部、副会長と三代の会長の下で活動し、今年五月に市婦連の会長として選任された。

現在の心境を聞いてみた。「会長という大役にとまどいと重責を感じているので、でも、頼もしい先輩方やすばらしい会員達がたくさんいるので、みんなの知恵や力を借りながら、一緒に頑張っていきたいと思っています」

なかなか連絡がとれない比嘉さんに現在の役職をたずねてみた「市父母の会会長、市民会議副会長、東部海浜推進協副会長、市民憲章副会長、その他、十本の指では足りないですよ」とにが笑い。しかし「婦人会という組織が社会にとって必要と認められているのだと解釈して、そ れを誇りに、各団体の中でも頑張っていきたいと思っています」と話した。

多忙な毎日と思うが、その忙しさをぬっての趣味は「旅ですかね。家族、夫婦、親子、孫、友人、同級生などいろんな旅をしています。一番好きなのは一人旅、一人で企画して宿もその日にとる。気楽さがいいんですよ。もう一つはカラオケ、これはストレスをためないための息抜き、発散です」と笑った。

モットーは「常に自分らしく生きる」、「一日々々を精いっぱい生きていきたいですね」。性格は「頼まれたら喜んで引き受ける質、頭より体を使うのが好き」続けて「声が大きい、よく笑う。おしゃべりが好き、人も好き」と話し又、笑った。

どの組織にしても悩みはあるが市婦連も例外ではない。今後の課題として比嘉さんは会員増と若い方達の加入をあげた。年々減っていく会員の数は深刻な悩みである。明るい地域、元気な社会を作れるのも婦人会だという認識のもとで、比嘉さんは「婦人会はなくてはならないもの、そして、楽しくなければならない、婦人会活動大好きです」と大きな声で話した。
戦後文化シアター
ワーナーさんの写真館
洋裁を担当する団体(古謝市)
一九四五年十二月「ミシン調査、要至急。本人ニ使用サセル。本部ニ集メテ学童服、制作サセル」(仲宗根山戸日誌)。丁度その頃ワーナー氏はコザにおり、同氏も似たような回想録をのこしている。衣類に関しても事欠く状態の中、洋裁技術を存分に発揮した女性たちの最強の味方としてミシンはまさに百人力であった。そして、人々の基本的な「衣」を支えたことはいうまでもない。

その後、一九四八年頃から洋裁学校が次々に開校し、どこもかしこも盛況であったようだ。市内でも同年二月、前原洋裁講習所美東分校(字高原)の生徒募集広告が新聞に掲載される。五〇年代になると洋裁店・テーラーの求人、ミシン販売代理店などの広告で紙面は大いに賑わう。ちなみに復帰前の七〇年、コザ市内には洋裁店が二三〇余軒あったという (Aサインバーもほぼ同数)。
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連絡先:総務課・市史編集担当
電 話:939-1212(内線2273)
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