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◆ 広報おきなわ6月号(No.396)
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今月の人
せっかくの人生 楽しく生きなきゃソン 高甫めぐみ さん(45)
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写真向かって左側が高甫さん | ここにも頑張っている人がいた。知的障がいのある娘のことを多くの人に知ってもらいたい、理解してもらいたい。同じように障がいのある子を持つ親たちは、日々なにを思い、なにを心の力として笑顔を絶やすことなく周りの方々と接しているんだろうか。お母さん達と集い、いろんな話がしたい。 高甫さんは母親たちが気軽に話し合える場所、「手作り工房Coco」を立ち上げた。
市福祉文化プラザより東へ約百五十メートル。「地域コミュニティ手作り工房Coco」を訪ねた。母親たちの明るい笑い声が表まで聞こえてくる。 エプロン姿の元気な女性たちが手も口も忙しそうにバック作りに精を出していた。 早速、代表の高甫さんに、Cocoの活動やこれからの取り組みなどについて聞いてみた。 明るく気さくに高甫さんは設立のきっかけから話しだした「六年前に障がい児を抱える母親の居場所作りとしてスタートしたんです。当時はお母さんたちが集まり、健常な子に追いつくには、療育はどうすればいいのか、将来は、など子育ての悩みや不安、苦しみばかりを口にする毎日だったんです。でも、いつしか誰からともなく、将来に向けて何かを始めよう、前向きに考えようと共同の目標らしきものが見えてきたんです」。 それから、市福祉まつりや養護学校まつりなどへ積極的に参加した「子どもたちのことをピーアールする機会を増やすことで、上手に想いを伝えられないわが子らに代わって、障がい者も健常者もお互いにもっと分かり合える地域づくりをと心のバリアフリーを訴えてきたんです」。 工房については「エコクラフトのバックを見た方たちから教えてほしいとの声が広がり、親の会の仲間と試行錯誤の講習を重ね技術を習得したんです。悩みが話せる場所として又、情報や人とのつながりがほしい人など、今では地域のコミュニティの場所として多くの方々が気軽に訪ねてきます」と微笑む。 手作りの教室を構えたことで地域とのつながりも、より身近なものになってきたという。 続けて高甫さんは「障がいのある子どもたちは養護学校などで手厚い教育を受けるが、出て行く社会は一つなんです。みんなが社会の一員であるということを理解してほしいですね。そういう地域をつくる。そのためにも、もっと頑張らなくては」と、自分にさとすかのように話した。障がい者の可能性をもっと広げたいと高甫さんは昨年、NPO法人「SUnSコミュニティ」を立ち上げた。地域活動支援センターの設立に向け新たな挑戦が始まる。取材後、高甫さんは話した「講習会など多くの知人や仲間たちと接してきて力がでてきた。こんないい仲間にめぐり合わせてくれて、小さな喜びを大きな感動に変える喜びを、夢を持つ喜びを与えてくれて、わが子の障がいでさえありがたく思える日々に変わってきたんです。せっかくの人生楽しく生きなきゃソンですよ」。
戦後文化シアター 今月のヒストリート
六月になると沖縄では慰霊の日を控え、沖縄戦の儀牲者を悼み平和を祈念しています。 一九四五(昭和二〇)年六月六日の夜、大田実海軍司令官は有名な電文「沖縄県民斯ク戦ヘリ…」を海軍次官へ送り辞世を覚悟。ところが、その翌日六月七日、追いつめられた南部の悲惨な状況からは信じられないことが、ここ沖縄市(当時、越来村)では行われました。 村長選挙です。米軍の上陸地から比較的近いため、四月二日には嘉間良に米軍宣撫隊本部が設置されます。六月になると嘉間良収容所の人口は六千五百人にも及び、臨時市町村制が施行されたことに伴う選挙でした。早くも収容所の人々は戦後の生活、自立へ向けた第一歩を踏み出そうとしていたのです。 さて、沖縄市の戦後自立の出発点とも言える六月七日にヒストリートは新展示室「しーぶんかん」をオープンします(場所はヒストリートの一軒おいて隣りです)。 昨年、村瀬春樹さん(神奈川県在住)より沖縄市へ寄託いただいた資料を「世界の転用・代用品」と題し展示、戦中戦後に各地で生まれた道具を紹介します。道具たちが語る戦争と平和の歴史に耳を傾けてみませんか。
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昭和15年、米不足の中で登場した鏡もち |
市史編集担当/TEL 939-1212(内線2273) ヒストリート/TEL 929-2922 | |
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