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◆ 広報おきなわ10月号(No.388)

今月の人
自分との勝負、常に
目標を持って突き進む
<1740>木村 淳さん(15)
 スポーツの秋。各ジャンルのスポーツ競技が盛んな季節だ。八月に行われた二〇〇六年度九州中学校体育大会で陸上男子共通二百メートルを制したのは山内中学三年の木村淳君。記録は22秒33。自己ベスト、しかし、残念がった。九月に陸上の第五回夏季記録会が県総陸上競技場で行われた。木村君は男子共通百メートル、同二百メートル、四百メートルリレーと三種目を制した。今月は三冠に輝いた木村君に陸上にかける思いなどを聞いてみた。

 九州大会の結果を悔しがった木村君。彼は競技後のインタビューにこう答えている「勝つだけじゃなく、大会記録の22秒30を出したかった。スタートが良くなかった」と振りかえる。

 この日は風速1・3メートルの向かい風。従来の自己ベストを0秒06更新するも悔しさは残る。それに奮起したのか、夏季記録会では百メートルを11秒44、二百メートルを22秒21で他を圧倒した。しかし、それにも「追い風だったので、21秒台前半は出てもいいくらい」と納得がいかない。

 市陸上競技場で練習中の木村君に今後の目標などを聞いた。

―現在の身長、体重は
木村 1メートル77センチ、58キロです。

―陸上競技を始めたきっかけは
木村 サッカーをしていた時期もあるけどチームプレーが苦手で個人競技の方が合っていると思い、小学三年のときに、沖縄アンテロープ陸上クラブに入りました。現在も所属しています。

―練習メニューは
木村 練習は午後五時から八時の間、主に百五十メートルのダッシュなどでスピードをつける練習です。

―百、二百、四百メートルのどの種目が自分に向いていると思うか、その理由は
木村 二百が向いていると思います。百では自分の持ち味としている後半の伸びがいかしきれないし、四百ではスピードがいかしきれない。

―自己ベストは
木村 百は11秒13、二百は22秒21、四百は49秒44。

―スタートラインで考えることは
木村 勝つイメージをします。そして、「リラックスしろ」と自分に言い聞かせています。

―勝つためには何が必要か
木村 目標をしっかり持って練習をすることです。

―今後の目標は
木村 中学在学中に百で10秒台、二百で21秒台を出して、全国制覇を成し遂げたいです。将来の夢はオリンピックに出場することです。

―ありがとうございました。

 目標達成に向かって頑張ってください、今後の活躍を期待しています。
 九州、全国中学校体育大会と続き、疲れが残り、体調は万全ではないと言う木村君。十月下旬に神奈川県で行われるジュニアオリンピック大会に照準を合わせ百メートルで勝負する。目指せ10秒台。
戦後文化シアター
今月のヒストリート
現、胡屋公民館での幼稚園の様子。
1955年頃
 スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋…

南国沖縄も少しずつ過ごしやすい季節になりました。皆様はどんな秋をお過ごしですか?

 今月紹介するコーナーは「戦後の子どもたち」。

 戦争で何もかも失い、校舎も教科書もない青空教室で戦後の学校は再開されました。沖縄市内で戦後学校が開校したのは、一九四五(昭和二十)年六月六日、まさに沖縄本島南部では激しい掃討戦の中を人々が逃げまどっている頃でした。これは米軍の上陸地点から比較的近距離に位置していたため、いち早く米軍の統治下におかれ「戦後」が早くやってきたことに起因しています。

 何にもない中でも、子どもたちは学び、石蹴りやかくれんぼなど遊具を必要としない遊びに興じました。当時の写真には、幼い兄弟をおんぶして遊ぶ子どもたちの姿が残されています。社会が落ち着くにつれ、フラフープやだっこちゃんなど空前の人気を博した遊具(玩具)も登場しました。ここでクイズです。沖縄市にだっこちゃんが現れたのは何年何月だったでしょうか?答はヒストリートで!
連絡先:総務課・市史編集担当
電 話:939-1212(内線2272〜2274)
ヒストリート929-2922
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