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◆ 広報おきなわ10月号(No.388)

● 被爆地ヒロシマからの声を届ける ●
平和を願う心、命を大切にする心を
強く強く持つこと
平和大使16人が平和学習を通し、平和の大切さ、命の尊さを訴える
 最終日には平和記念式典に参列しました。そして、午前八時十五分、六十一年前のあの悲劇が二度と繰り返されぬよう、参列している一万人あまりの人と平和を願い、一分間の黙とうをしました。僕はこの四日間で、「平和の大切さ」というものを改めて実感しました。それに、平和を願う気持ちが強くなりました。これから先、戦争がなく、平和で明るい未来にしていきたいです。
美東中学校
二年生
上原 悠太郎
 ANTというNGO団体の方からお話を聞きました。一番心に残っている言葉があります。それは、小さな私たちが大きなコトをするということでした。力が少ない、小さいから何も出来ないではなく、小さな力をあわせて大きな力にしようということでした。とても良い言葉で自分の目標にしていこうと思いました。この四日間は、平和な事も命の尊さも今まで以上に知れてとても良い機会になりました。
美東中学校
二年生
仲宗根 咲季
神田山やすらぎ園では、岡村文恵さんという一人のおばあちゃんの話を聞いて、「原爆のことを思い出すと今でも涙が出てくる」という一言がとても心に残っています。思い出したくない辛い過去なのに、私たちのために話してくれてとても感謝しています。沖縄市平和大使広島派遣は、命の尊さや原爆・戦争の恐ろしさなど、数え切れないほどのことを私たちに実感させてくれました。
沖縄東中学校
二年生
當真 利乃
 被爆者の話を聞きました。僕達グループに話して下さったのは、M井さんというおばあちゃんでした。M井さんは被爆時、目が見えなくなり、お父さんお母さんが亡くなり、埋葬する時は町長の方などに手伝ってもらったそうです。そして一番心に残っているのは、「お父さんお母さんを大切にしなさい。口で言わなくても心では感謝しなさい。それが一番の親孝行だから」と涙を流しながら言っていました。
沖縄東中学校
二年生
久貝 亮太
 数ある資料の中で僕が一番驚いたのは、原爆が落ちて黒こげになった弁当箱です。その弁当箱は中身も黒こげになって残っていたので特に驚きました。熱線でとけた岩や一升瓶などもありました。広島で僕が学んだ「平和」その平和を学ぶためにも平和じゃなくちゃいけない。その小さな「平和」を集めて、今後沖縄から僕達が全世界に大きな「平和」を広げて、平和な世界を築いていきたい。
美里中学校
二年生
山内 優貴
 私たちは平和記念資料館を長時間かけてじっくり見学しました。原爆の被害、黒い雨、ケロイド、色々なものがたくさん展示してあり、思わず目をそむけてしまいたくなった写真もたくさんありました。広島・長崎に落とされた原爆のことも、沖縄の地上戦のことも、その他戦争に関するたくさんのことも、私たちの子や孫に伝えていきたい。その子や孫にも語り継いでいってほしいと思います。
美里中学校
二年生
兼島 千明
 平和記念資料館には目を疑う展示品ばかりでした。戦争のことは想像できても、それが本当にここで起こったのかと疑いました。知ってほしいです。戦争の恐ろしさ、命の尊さを。戦争は起こした後に気づくのは遅いですけど、初めて起こったから分かった事もたくさんあるはずです。この四日間あった事を伝えていき、少しずつでも平和を求める人が増えていくとうれしいです。皆で平和を作ろう。ぬちどぅ宝。
宮里中学校
三年生
新里 レベッカ
友理亜
 今回の研修は、かなり貴重な経験となったのはもちろんなのですが、同時にこの原爆の問題が「ワールドワイド」なものであり、そして「身近」なものであるということを深く考えさせられました。真の世界平和を創造するには、やはり全ての人々が考えの違いを理解、武器を捨てる以外に方法はないと思っています。では、最後に一言言わせて下さい。
I' ll say around the world don't forget tragedies.
宮里中学校
三年生
清末 尊
 原爆養護ホームやすらぎ園でM井八重子さんからお話をいただきました。M井さんは、思い出したくないはずの話を涙を流しながら話してくれました。平和というのは、遠いところにあるものではなくて、学校へ行ったり、楽しくおしゃべりするのが平和なんだと強く感じました。そして、その平和を守っていくためには、相手の立場にたって相手の事を分かろうとすることだと思いました。
安慶田中学校
三年生
名城 昴平
 神田山やすらぎ園では、被爆体験者の岡村文恵さんから、原爆がおこった当時のお話をしてもらいました。「肉がただれ、心臓より手を高く上げて逃げていった」など、とても辛い原爆の話を目に涙をためながらお話して下さいました。もう、思い出したくはないようなことまでも話して下さって、私たちはこの話をたくさんの人に語り継いでいかねばいけないんだと改めて実感しました。
安慶田中学校
三年生
仲松 智美
 私は初めて本物の原爆ドームを見ました。ボロボロの原爆ドームは、広島に投下された原爆の恐ろしさを訴えているように感じました。写真では感じることができなかったことを感じることができて良かったです。この四日間を通して、平和大使で経験してきたことを多くの人たちに話し、戦争の事実を正確に伝えていきたいです。私達子どもで世界から戦争を消せるよう努力をしていきたいです。
山内中学校
三年生
高宮城 琴美
 原爆は残酷で、大切なものを無くす最も一番世界中で最低な武器です。広島派遣で僕が思ったことは、この広島で学んだ平和をみんなに伝え、原爆や武器の恐ろしさを知り、争いをなくし、この地球全体が恒久平和であるように訴えて、ピースな地球にしたいです。だけど、六十一年前のことは絶対に忘れないように、絶対風化しないように。もし、風化したらまた昔の辛いことが繰り返されるから・・・。
山内中学校
三年生
徳里 将
 最初にあの有名な原爆ドームを見ました。原爆ドームを見て心の中で原爆がとても恐ろしいことが分かりました。他にも広島城などに行き、その中の韓国人原爆犠牲者慰霊碑では、僕と七星さんが作文を読んで亀の像に千羽鶴をささげました。平和記念公園の灯篭流しでは、灯篭の紙に戦争を二度としてはいけない思いを書き、笑顔も書いてロウソクをつけてそっと流しました。
越来中学校
一年生
亀島 徹
 広島原爆養護ホーム神田山やすらぎ園訪問交流では、被爆体験者の植田俊男さんからお話を聞きました。0歳の時、母親の背中におぶさっている時被爆したそうです。現在の暮らしは、一日に八十三錠の薬を毎日飲んでいることにとても驚きました。一日も早くこの薬の数が減ることを願っています。世界中の人々が安心して平和に暮らせますように。私たちが、今、できることをやっていきたいです。
越来中学校
一年生
島袋 七星
 一九四五年(昭和二十年)八月六日、八時十五分。一瞬にしてたくさんの尊い命が奪われ、何もかもが破壊され、数えきれない人達が命を落とし「助けてくれ」「水をくれ」「殺してくれ」と周りは火の海になったといわれています。「平和」とは争いや戦争、貧困、飢餓がないこと。お互いの心を開くこと。心を開けば自ずと対話が生まれる。それが「平和」につながるのではないかと思いました。
コザ中学校
三年生
与那覇 央子
 原爆死没者慰霊碑を見ました。そこに書いてあった言葉も心に残りました。「安らかにねむって下さい。二度とあやまちをくり返しませんから」。これから僕たちは世界中に平和を、二度と同じあやまちを繰り返さない事を伝えていかなければならないと心に思いました。多くの人に平和の大切さ、戦争の恐ろしさ、おろかさを知ってもらいたいです。この世界が平和になるように願って・・・。
コザ中学校
三年生
安次嶺 拓人
 
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