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◆ 広報おきなわ(360)6月号

沖縄市施政行三十周年

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市政30周年記念
小中学生ポスター展
2004沖縄音楽市
今月の人・
ワーナーさんの写真館
すてきな仲間達・
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財政公表

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ワンダーミュージアムチルドレンズセンターオープン

未来ゾーンに笑顔とはしゃぎ声がこだま

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第21回沖縄市福祉まつり
表  紙
今月の人
コーラス活動の輪を広げたい
<146>松川 郁子さん(59)
〜夏が来れば思い出す、はるかな尾瀬〜。コーラスでよく聞かれる歌である。いきなりだが、市内にコーラスグループはいくつあるのだろうか?個人的には片手で数えられるくらいしか知らない。コーラスにはうといのである。女性の指揮者でコーラスの指導を熱心にやっている方がいるとの情報を得た。早速、けいこ場を訪ねることにした。姿勢よく、滑舌のいい発音で迎えてくれたのが本人。松川さんである。
すっと伸びた背筋、滑らかな発音、晴れやかな笑顔、初対面で、なるほどとうなづいてしまった。コーラスをやっている方々ってどんな人達だろう、自分にとってはほとんど知識がなく、縁遠いものだったからである。

しかし、話してみると気さくで前向きで、物事に常に自信を持って歩んでいる、そんな感じのする方であった。

松川さんは幼少の頃から音楽が好きで、小学生の頃からピアノを習い始める。中学校、高校ともコーラス部に所属。琉球大学教育学部音楽科を卒業すると沖縄女子短期大学非常勤講師として勤務。その頃から音楽活動を開始する。

音楽とバレエのクリスマスハーモニーコンサートやオペラチャリティコンサート、沖縄人の肝心コンサートなど数多くのソロ活動と同時に女声コーラスの指揮、指導を始めた。

現在の活動状況を聞いてみた。「現在は松川郁子コーラスグループを結成、女声コーラス・野ばらの会、ローズフラウエン、女声アンサンブル・ロゼリーナ、女声カルテット・ムジカローゼと四つの団体の主宰として、指揮者を務めています」十八年前に那覇市内で活動している野ばらの会を結成、その十二年後に沖縄市内で活動する「ローズフラウエン」を立ち上げた。毎週水曜日、島ピアノセンターでけいこに励んでいる。多忙の中、当面の予定を聞いてみた。「六月にパレット市民劇場でロゼリーナによる“6月の夢物語”を十二月には野ばらの会とローズフラウエンの合同コンサートを国立劇場で開く予定です。だから今はそれに向かって一生懸命走っているって感じです。不安もありますが」と話したが、一つ一つをきっちりこなしているそんな気丈な面も見える。四団体で約六十人のメンバーを率いる松川さんは「純粋に音楽を楽しむことをモットーとした方々の集まりで、週に一度、心と声を合わせて楽しくうたうことが目的」と話し、「もっと豊かに自分自身の声をみがき、そして歌い表現してみたい方は一度ローズ・フラウエンをのぞいてみませんか」と団員の募集を呼びかけた。好きな言葉は「希望」「人は希望ある限り若く、心は青春である」。最後に「若手の育成はもとより、沖縄市でコーラスフェスティバルを開くのが夢、行政も力を貸して下さい」とちょっぴり注文もつけたが、その言葉は遠い夢ではなさそうな気もした。
戦後文化シアター
ワーナーさんの写真館
キャンプコザの墓地
写真はキャンプコザ(難民収容所)にあった墓地の様子である。

終戦直後に来島したワーナー氏が、最初に赴いたのは古謝市(コザ)だった。当時、軍政府は公共事務等を処理するために市機構を整備し、難民収容所を中心として本島内に十二の市を設置していた。その一つが今の嘉間良を中心とした古謝市で、写真はその嘉間良一帯を写したものである。白い墓標が無数に立ち並んでいるが、おそらく沖縄戦で犠牲になった人たちの墓地であろう。日付のある墓標はすべて「四五年四月二十六日」と記されている。沖縄市域での戦闘は四月五日頃にはほぼ終わっていることから、それ以降にこれだけ多くの死者が出たとは考えにくい。おそらく埋葬した日付ではないか。

写真について何か情報をお持ちでしたら、総務課・市史編集担当までご一報ください!
電話:九三九−一二一二(内線二二七三)

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