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◆ 広報おきなわ(No353) 2003年11月号
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伝統文化の未来を担うのは子ども達だから会活動に取り入れています |
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・泡瀬第三子ども育成会・ |
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こちらは市内でもトップクラスのエイサー隊。道じゅねーの前に記念撮影 | | | 県の指定無形民俗文化財に指定されている組踊り、「泡瀬京太郎(アワセチョンダラー)」。京太郎(チョンダラー)とは、「京都から来た太郎」の意味で、明治初期頃までは首里や中・南部で人形を使った芸を演じた、門付け芸人とその芸能のこと。泡瀬京太郎の歴史はおよそ一世紀にも及び、その独特の踊りと台詞、舞台衣装は観る者を大いに楽しませる。それを子ども達が演じることでより楽しく、また伝統文化を守ることに繋がるだろうという考えから、およそ二十年前に泡瀬第三子ども育成会(胡屋誠考会長)は会活動に泡瀬京太郎を取り入れた。指導者は、これまで約十二年間、泡瀬京太郎を子ども達に受け継がせてきた普久原朝信さん。
同会活動に参加している子ども達は、現在約五十名。泡瀬京太郎の他に、エイサーや三線などの沖縄文化を中心に取り入れ、活動している。特にエイサーは、これまで市子ども育成連絡協議会芸能祭などで授賞するほどの腕前。しかしエイサー以上に、その特異性と伝統文化の継承という観点から、老人福祉施設や病院、市の行事などでは泡瀬京太郎を披露することが多い。演じるのは、伝統芸能に関心のある会員約二十名。特に慰問では、この泡瀬京太郎を楽しみにしてくれるおじいちゃん、おばあちゃんが多く、舞踊にも熱がはいる。
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泡瀬京太郎を演じている一コマ。みんな凛々しい表情だ | | |
これまで数々の行事やイベントで演じられたきた泡瀬京太郎だが、そのことについて胡屋会長は「県指定の無形民俗文化財を子ども達が踊ること自体に、意外性・特異性があり、おもしろいと思う。だから、出演頻度が多くなるのでしょう。もちろん、子ども達が楽しみながら伝統芸能を学んでいるということが前提。伝統や文化に対する意識が希薄になりつつある昨今。私たちの義務はこれまで守ってきた貴重な文化を、次世代に引き継ぎ、守っていってもらうこと。」と胸の内を語った。 |
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侍の牛 |
久場政三(明治四三年七月二五日生)園田 |
昔あるところに侍がとても立派な牛を飼っていました。
そのことを聞きつけたある牛バクヨー(博労)が、牛を買い求めに侍のところへ行きましたが、なかなかその牛を譲ってはくれませんでした。
それで、牛バクヨーどうしが集まり、「あの侍は私が何度足を運んでも牛を譲ってくれないので、今度はおまえが行って牛の口を開けて…それで…牛を買ってこい」と相談して行かせました。
言われた牛バクヨーは侍の家に着くと、皆と打ち合わせたとおりに牛小屋から牛を出して口を開けて見ました。そして「トートートー、こんな牛を買うわけにはいかないので牛小屋にかえしておきましょう」と言うと、侍は「ヌーガ、ヌーヤガ(何!どうしたのかね)」と聞くので、「あなたの牛はカタヒチムン(かたわ)なので、買うわけにはいきません」「ヌーガ、チャングトゥーソーガ(なにが、どうなっているのかね)」と言われて、牛バクヨーは待ってましたとばかりに、「この牛には上の歯がありません。もし、この牛を欲しいという人がいれば早く売ってしまったほうがいいですよ」と言って、帰りました。そうして、すぐにもう一人の牛バクヨーを侍のもとに行かせ、半分の値段で牛を買ってきたということです。
牛はもともと上の歯はないが、侍は牛を飼った経験もなく、ましてや牛の口など開けて見たことがなかったので、牛バクヨーにジンブンスーブ(知恵くらべ)で負けたということです。ところでみなさんは、牛には上の歯がないということを知っていましたかな…。
注 1牛バクヨー…家畜売買を生業とする者。 注 2トートート…人をせき立てるときや、驚いたり、当惑したときに発する言葉。ここでは「もういいです」という意味が込められている。 |
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