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◆ 広報おきなわ(No353) 2003年11月号
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まつりづくりから街づくりへ |
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<139>仲程 誠 さん(39) | |
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第二回市工芸フェアが十一月に開催する。工芸フェアは地域の伝統的な工芸品の良さを継承しつつ、工芸産業の振興を図っていこうというもの。又、街の活性化の一役を担うのも目的。その、工芸フェアの座長を務めているのが仲程さんだ。
コザ市胡屋で出生、胡屋で育った仲程さんの街づくりや市街地活性化に懸ける思いは人一倍強い。街づくりやまつりに対しての思い入れなどを聞いてみた。 |
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胡屋生まれの胡屋育ち。平成八年に旧コザ保健所前、市テレワークセンター横に中央マートを開業、四年後、フードカフェを開店した。その店を訪ねた。
現在、いろんな分野で街づくりにたずさわっている仲程さん。単刀直入、その動機を聞いてみた。「通り会や地域ボランティアの活動をする中で、現在の沖縄市、特に中心市街地の衰退をみて、コザの土着人としてこの街のために何か自分に出来ることはないか自問自答した。特に愛着のある胡屋の街に活気が甦る日がいつか来ることを信じ、街づくりということに自分なりにたずさわっていこうと決めたんです」視線をそらさず真っ直ぐ見て自信を持って語りかける。
コザショッピング通り会代表や胡屋地区地域活性化研究会員などの外、まつりのスタッフとしても常にかかわっている仲程さん。市のまつりのあり方についてたずねてみた。「街の活性化の一つの方法として、まずまつりを考える。しかし、まつりがいくつあるだろうか、ひっかかる。地域の活動を通して、これはまつりなのか、イベントなのか疑問に思う所がある。自分の中ではイベントは企業などが行う商的行為で、まつりは地域の人がつくりだし楽しむ行事だと分析しているんです」それでは経済効果のあまり期待できないまつりをやる必要性は|「もちろんあります。地域住民の気持ちの活性化なくして街の活性化はないと思うんです。多くの人が交流する。情報を共有する。街は人がつくるという観点に立つと―」と云って、しかしと続けた「現状のまつりはその効果を発揮していない。同じ顔ぶれだけが参加して、まつりの輪が広がっていない。どう広げるかが今後の課題だと思います」と断言。工芸フェアも間近で多忙な日が続いているが趣味は―「映画鑑賞に天体観測、バレーボール、交流」モットーは「ネバーギブアップ」とにかく頑張る、(できない)という言葉が嫌いとつけ加えた。好きな言葉は「いつも心に太陽を」(前向きな気持ちで自分自身が明るくないと人との付合いも仕事もうまくいかない、そういう経験から)。街の活性化は「みんなで楽しく、まつりづくり街づくり」をキーワードに東奔西走する仲程さん、いつか街に活気が甦る日まで―。 |
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じんぶんあしびぐに(人・文・遊国)
今や沖縄の秋の一大イベントとなった2003沖縄国際カーニバル。「人・文・遊国」をテーマに一日と二日の両日、空港通りをメイン会場としてまさにチャンプルー文化が開花する。
初日の国際大綱引きでは、飛び入りの観光客も一緒になり大勢の市民が全長七十メートル、重量四トンの大綱を懸命に引き合う。二日目の民俗芸能一万人大パレードは、江戸のぼり行列、フラメンコ、サンバダンス、アメリカ五十州旗など国際色豊かな団体のパレードがくり広げられ沿道は祭り一色に染まる。
沖縄市ゆてる チャンプルー文化 七〇〇〇の参加 かにも見事 (平田君子 沖縄市)
立冬(八日)の前後数日は、夏のように暑い日が戻ってくる。これは珍しいことではなく、沖縄では十月(旧)夏小(ジューグァチナチグァー)と呼んでいる。原因は、沖縄に寒さを運んで来る北東の季節風が一時的にやんで、かわりに暖かさを運ぶ南風が吹くことによる。
二十四日は与儀部落のシマカンカー。部落内の各拝所で祈願後、豚のミミガーを左縄で縛り国道側入り口と上殿(部落発祥の拝所)に吊し、部落へ入ってくる悪疫を追い払う。
十一月は学生や警察官の制服の衣替えの季節。沖縄市の東部や北部のさとうきび畑は、ウージの穂花が出そろい、風になびく小紫色した美しい銀の波に彩られる。街中ではポインセチア( 猩々木 )が鮮やかな紅に色づき、道行く人の目を楽しませてくれる。
甘蔗の花うねりとなりて島も揺れ (細 薫 沖縄市) |
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