外から来た人を
受入れる雰囲気がある

田口正樹さん
愛知県から移住。12年前の沖縄でのサーフィンが頭をよぎる。様々な出会いと別れがあった。現在は蕎麦屋を構えて2年半。模合やゴルフなど仲間づくりも楽しみの一つ。沖縄が「もう帰れ」と言うまで帰らない。

住むならコザにしようと純粋に考えていた

田口正樹さん

 愛知県名古屋市出身です。信州そば(日本そば)を中心とした大型飲食店(従業員四十人程度)で二十年間店長を務めながら生計を立て、三十年ローンで購入したマンションに寂しく一人暮らしでした。
 時々、仲間を集めて鍋やお好み焼き、麻雀パーティなどをして暮らし、休日は趣味のウィンドサーフィンを地元の海や河に(往復三時間かけて)行ったりしていました。夜は名古屋の酒場「錦三丁目」あたりで常連のスナック、バーで飲み仲間とお馬鹿な話でいつも盛り上がって日々のストレス解消をする、そんな暮らしでした。

 月並みですが、沖縄に来たときの海のきれいさと雰囲気の良さにひかれたのが、やっぱり一番です。
 趣味でやっているウィンドサーフィンをやりに、初めて沖縄に来たのが十二年前、本当はハワイにいくつもりがハワイに行けるだけの休日数を仕事の都合上取れなくてショップの店長に「沖縄もいいぜ」と勧められ、それから毎年のように来るようになりました。
 たまたま、名古屋市で知り合った人(沖縄在住)に沖縄市の「コザ」という街もおもしろいよと連れて来てもらったのが六、七年前でいろんな人種がわさわさしてておもしろいがねと、住むなら沖縄市のコザにしようと純粋に直感で考えていました。

 生まれは千葉県。小・中学校は名古屋市郊外の愛知県富山町という町で育ち、(マリナーズのイチローの出身地)高校は市内の学校で電子工学を勉強、仕事はまったく関係ない名古屋の日本蕎麦屋に就職。なんだか二十年間勤めました。
 間に一応、結婚し、離婚して埼玉県や静岡県や岐阜県などで暮らし四十歳を迎えて沖縄に移住。
 移住して程なく中の町に日本蕎麦屋開店。移住してもうすぐ三年、蕎麦屋をして二年半です。

「一期一会」ですかね。生まれて親兄弟に会ったこと、子供の頃の友達、学高時代の友人、仕事で知り合った仲間や恩師。名古屋の飲み仲間やお世話になった店のママやマスター、ウィンドサーフィンを始めて沖縄を教えてくれたショップの店長。沖縄の海で知り合った人々(ウチナーンチュ)、コザで出会ってここのおもしろさ、良さやアドバイスをくれた人たち、日本蕎麦屋を出すのに助けてくれた中の町の住人、移住してから知り合った大切な彼女。
 その出会いが今の自分を育ててくれるからです。

 自分は移住前の名古屋が嫌いになったわけでもなく、今も連絡を取り合っている大切な人たちもいるし、親兄弟もいる。でも、沖縄が「もうお前帰れ」って言わない限りずっと暮らしていきたいと思っています。
 自分にとってIターンは人生の第二ステージが得られたもの。だから、第三ステージへのIターンもあるかも、離島とかに。まだまだ自分のステージが上がるならこれからもなんとかターンしたいですね。

 移住してもうすぐ三年、生活するために出した「日本そばーきく石」を開店して二年半になり、儲かっていないけど生活できるだけのお客様に来店していただいております。
 模合なんてのにも一つ参加させてもらっています。ゴルフなども少々仲間に入っています。仕事を真面目にやりすぎて好きな海に思うように 行けていないのがちょっと悲しいのですが中の町で少々飲みすぎているのもあるかも。移住してから可愛い彼女もできて楽しく暮らしています。近い将来家族を持とうかと考えている今日この頃です。

 自分が初めて沖縄市に来たとき面白いなと感じたことは、いろいろな国々の人がいて、もちろん移住人も、だから、いろんな景色や言葉や音や香りがして自分的にはより沖縄してた。外から来た人を受け入れる雰囲気があり良かった。
 沖縄市はイベントだけでなく住んでいる人、建物、会話、食べ物といった暮らしから人間味が感じられる街だと思います。

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