周りの人に助けられ
励まされ、ここまで頑張ってこれた

横山和典さん・克枝さん夫妻
ハワイで知り合い、そして28年。市内の中央パークアベニューで「バンブーカフェ」というレストラン&バーを経営。奥さんが店を運営。主人は会社員。行動派の二人は遊びも仕事も満喫している。

気候も良さそう、波もありそう、若かったし。

横山和典さん・克枝さん夫妻

(克枝さん)東京都渋谷区「私立佼成学園女子中・高等学校」卒業後、ファッションに興味があったので、原宿のブティックに就職一年半後に退社して、十九歳で単身渡米(ハワイ)一年後に帰京、原宿でモデルエイジェントにスカウトされ、モデルスクールへ通いながら、いくつか仕事をする。(モデル、パーティーコンパニオン)そして、再びハワイへ、通算五〜六年というところだろう沖縄に来るまでの間、ハワイと東京を行き来しながらインポートの仕事に興味を持ち、渋谷パルコ、原宿オリンピアコーポに店(ブティック)を出店する。

(和典さん)神奈川県横浜市。電気工事士。サーフィン、スキー等。健康的な遊び人。

(克枝さん)東京はお金を稼ぐところと割り切りつつも、すぐにハワイが恋しくなり、行ったり来たりの生活が続いた。その間、今の主人と知り合いました。しかし、ハワイでは真っ青な空、コバルトブルーの海、毎日美味しい物を食べて、サーフィンして、パーティー三昧でしたから(若かった)都会の暮らしが、かなり窮屈に思えてきた。一九八〇年、バリ島で沖縄の青年に出会った。この時、初めて「沖縄」という地が私の中にインプットされた。以前、海洋博覧会に来たことがあったが改めて考えるようになった。そして、一年後、移住を決意した。

(和典さん)移住とか、そんなに大げさな感じは無し。気候も良さそう。波も有りそう。外国みたいだし何て、若かったし何も怖くなかった。

(克枝さん)最初は、自然に憧れたこともあり国頭村で農業を試みるが、四百坪では、生活できないと分かり二トントラックを購入し、観葉植物を車で売り歩いた。その後、長男を授かり那覇市へ、主人の就職を機に、主婦業に専念していたが沖縄にもコンパニオン会社が出来、講師兼リーダーとして現場に立ち、沖縄のホテルを駆け回った。
 息子たちの成人をきっかけに「バンブーカフェ」をオープン。
 泡瀬、コザ、北谷と展開したが、息子たちの就職と共に縮小して、現在はパークアベニュー店のみ営業している。

(和典さん)沖縄に住んで今年で二十七年、現在レストランで働いています。その前はいろいろな仕事でした。

(克枝さん)もちろん、両親や家族、そしてバンブーカフェに来てくださるお客様は大切です。そして、沖縄やコザの街も私にとって大切なのですが、一番大切にしたいものが、素晴らしい自然や地球ですね。私が沖縄に来た一番の理由は、素晴らしい青い空と海、ヤンバルの自然を出来る限り守っていきたいという思いがあったからなんです。
 今、本当に地球が危ないと思っています。現に私が沖縄に来た二十七年前に比べると、気候がかなり変化しています。とにかく、自分で出来ることを小さいことから一つずつ実行していこうと思います。

(和典さん)家族。仕事。健康。これが基本。

(克枝さん)ハワイで知り合いました。彼は大学生でハワイにサーフィンをやりに来ていました。その頃、私は恋愛に疲れていて、なぜか西洋占星術に嵌っていました。友人に紹介されたのですが、あいさつを交わすぐらいでなんの興味も有りませんでした。
 でも、彼の誕生日を聞いて、びっくり、私と相性いいはず。即彼に「結婚しなくていいから、お付き合いしませんか」と私からアタックしました。そして、二十八年。あっというまでした。

(和典さん)今思えば運命かな

(克枝さん)都会生まれの私がラッキーだったのか分からないけど、自然に触れたことでしょう。十九歳の時、ちょうど沖縄が返還された年でした。ハワイにも沖縄からIターンした方々がたくさんいらっしゃいました。
 私の両親は「沖縄ならハワイより電話代が安いから良かった」と言ってました。
 勿論、最初はカルチャーショックもありましたが素晴らしい自然に囲まれて本当に幸せでした。
 お互いの両親には申し訳ないのですが・・・。生活設計や子育てなども、夫婦で話し合って自分たち流に出来たこと。東京から見たらいろいろなチャンスがあること。しかし、反面、親戚、縁者、同級生などが、いないから、生半可は出来ない。
 周りの皆さんに助けられ、励まされ、ここまで頑張って来れました。感謝あるのみです。

(和典さん)住めば都。

(克枝さん)現在は、中央パークアベニューで「バンブーカフェ」というレストラン&バーを経営。ジャーク・チキンというジャマイカ料理が評判よく、外人や沖縄の方々にも浸透してきました。しかし、状況はかなり厳しく、毎月、家賃と従業員の給料を払ったら、何も残らない状態です。でも、毎日「有難うございます」とお客様に言う時が幸せです。
 そして、コザの人達と関わっているのが楽しみです。
 主人にこの店を任されて早、四年、息子たちも立派に成長し、就職しました。今は、ボランティアや募金活動などをしながら、コザに来る若い アーティスト達の手助けが出来ればと思っています。

(和典さん)息子二人も成人し夫婦二人の頃に戻り気持ちも若返り又何処か、移住しようかな。

(克枝さん)去年、こどもの国へインドから小象が送られてきました。私は元気に育ってほしいと、ポケットマネーを寄付させていただきました。それが縁で市長の了解を貰い「ゾウさん募金」を始めました。(バンブーカフェ内設置)沖縄県唯一の動物園です。
次世代の子供たちのためにも守っていきたいと思います。そして、パークアベニューを歩行者天国にしていただきたい。月に一度でも構わないですが、子供たちが思いっきり遊べるようにしてほしいです。
 最後に沖縄市もエコ宣言の街にしてほしいです。
 子供たちのためにも、この素晴らしい地球を、沖縄を残してあげないといけないのではないかと思います。

(和典さん)沖縄市民は基地内で買い物が出来るようにしてほしい。