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◆ 広報おきなわ7月号(No.373)
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今月の人 |
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去年三月に愛知県の岡崎市で行われたパワーリフティングの「第8回ジャパンオープン選手権大会」で日本新(ベンチ)で優勝、さらに五月二十二日、東京で開催された「全日本実業団ベンチプレス選手権大会」で二連覇を成し遂げた選手がいる。池原治彦さんがその人。今月号は九月に神奈川県で行われる第二十四回全日本実業団選手権大会(ノーギア)に向けて調整中の池原さんにパワーリフティングの魅力などについて語ってもらった。
池原さんがパワーリフティングを始めたのは二十七歳の頃、市のトレーニングルーム(ジム)の練習仲間、宮国金榮さんからの誘いがきっかけだという。
宮国さんは嘉手納基地内のジムのインストラクターでパワーリフティングで何度か優勝したことのある実力者。それから、基本フォームを教わり、即実戦に入った。やがて、各米軍キャンプで開催される大会に出させてもらい経験を積んでいった。「宮国さんが声を掛けたおかげで何とかパワーリフティングの形にはなってきたんですが」と目を細める。しかし、その才能はめきめきと頭角を現す。先に既述したが、第八回ジャパンオープン(ベンチプレス)で日本新で優勝。第九回大会で日本記録を更新、優勝。全日本実業団選手権でも去年、今年と大会新記録での二連覇達成。今、心身ともに充実している旬な男である。現在は次の大会に向け、市のトレーニングルームに通い自分流のメニューをこなす。
毎日、顔を合わす馴染のメンバーで昨年「パワー王国」というチームを結成した。「この施設の器具は県内でもトップレベルで広々として清潔感があり、スタッフも明るく、運動が楽しくなる雰囲気があります。又、オリンピック代表選手やプロ野球の選手など間近で見ながら練習をすることもあり、刺激にもなります。」と良い環境に恵まれていることも記録更新につながっている一因か。
幼少の頃からスポーツ好きだったという池原さん。中・高校時代はソフトボールと砲丸投げ、大学は愛知県で硬式野球を、その頃から体づくりの一環としてジムに通っていたという。
モットーは「己に厳しく他人に優しく」好きな言葉は「努力は人間に与えられた最大の力である」。現在、日本パワーリフティング公認審判員や県協会の理事を務めている池原さんだが、今後については「選手と審判員と二つの立場ですが、競技を楽しみながら、もっとメジャーになるように指導や宣伝をやっていきたい。そして、可能な限り努力をし、自力をアップし県内外の大会に出場していきたいです」と話す。ジムでも、その人柄は仲間達に親しまれ、又、指導者としても頼れる存在。最後に「数年後には世界の強人らと一緒に競技したいですね」と笑顔で本音を。 |
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戦後文化シアター 時代の交差点60th |
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サンドウィッチショ−プ(1993年) | | 戦後の沖縄で、米国文化の影響を受けて登場したものの一つにサンドウィッチショップがあった。ハンバーガーやホットドック、コーヒーなどの手軽な食事が大きな魅力で、今でいうファストフードの走り。
一九六○年三月当時、サンドウィッチショップは沖縄本島だけで百軒余りを数え、その大半がコザや那覇に集中していた。両市では範囲五○m弱の間に数人の同業者が店を構えるほど、大モテだったという。他の飲食店に比べて開店までの初期投資の経費が安いこと、休日なしの二四時間営業ができたことが人気の理由。客の殆どが飲み屋帰りやタクシー運転手等の深夜業者で、歓楽街の多い「オールナイトコザ」にマッチした商売だったようだ。
写真は城前にあったサンドウィッチショップ。ショップ(SHOP)が「ショープ」と表記されているのは(「シャープ」と表す例が多い)、米兵の発音をそのまま言葉に取り入れたから。こうした《耳英語言葉》は、他にストゥ(シチューのこと)、バフェ(ビュッフェ)、トゥーナー(ツナ)、アイスワーラー(お冷や)などがある。 |
写真について情報をお持ちの方はご一報下さい! |
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連絡先:総務課・市史編集担当 電 話:939−1212(内線2273) | | |
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