<< [1]
[2]
[3]
[4]
[5]
[6]
[7]
[8]
[9]
[10]
[11]
[12]
[13]
[14]
[15]
[16]
>> |
◆ 広報おきなわ(bR68)2月号
|
|
今月の人 |
 |
夢や希望を持ち それぞれの目標に向かって進む |
|
<154>兼島小百合さん(20)右 中村 準 さん(20)中 照屋 夏希さん(20)左 | |
 |
 |
今月は一月九日に行われた成人式で新成人を代表して「抱負発表」を堂々と行った兼島さん、中村さん、照屋さんに登場してもらった。 兼島さんは現在、一児の母として子育ては楽しくをモットーに頑張っている。中村さんは福岡教育大の学生で将来は学校の教員を目指す。照屋さんは九州保健福祉大学で勉強中、福祉関係の道に進みたいと云う。式典後、現在の心境や決意などを聞いてみた。 |
─「抱負発表」の大役おつかれさまでした。現在の心境を一言
兼島 |
いい思い出が出来ました。親や家族の協力に感謝の気持ちで一杯です、今の気持ちを大事にしたいです。 |
中村 |
大勢の人の前でのスピーチは久しぶりだったので緊張しました。成人としての第一歩をこのような形で踏み出せたことを光栄に思います。 |
照屋 |
一生に一度の成人式なので忘れられないステキな思い出になりました。こんなに大勢の前で発表できた事は、これからの私の人生にプラスになると思います。 | ─成人としての実感は
兼島 |
大人として自分らしさを大事にし、心のステキな人間になりたい。自分と正直に向かい合い頑張りたいと思います。 |
中村 |
実感はまだわいてきませんが、社会的立場や責任が大きく変わってくると思います。今まで以上に自分の言動や行動に責任を持ち、周りの人達との関わりを大事にしたいと思います。 |
照屋 |
私自身、子供でもなく大人にもなりきれていない部分はたくさんあります。でも今日を境に社会人として、自分の言葉や行動に責任を持ち、相手の立場になって考える思いやりのある人間になりたいです。 | ─モットーや夢などがありましたら一言
兼島 |
子育てを頑張ります。 |
中村 |
子供達の持っている才能を最大限に引き出してあげられるような教員になりたいです。 |
照屋 |
自分に正直に生きて、自分にしか出来ない大事な夢の花を咲かせたいです。 | ─現在の決意を一言
兼島 |
今は子育てを一生懸命に頑張り、前向きにしっかり進んでいきたいです。 |
中村 |
たくさんの人達に支えられて「生かされてきた」という実感。これからは自分のいい所を伸ばし、他人も生かしていけるような人間になりたいです。 |
照屋 |
友情という絆が私たちの中に存在します。これから先、たくさんの友に助けられて、そして私も同じくらい友を信じていきたいと思います。 | ─最後に何か一言、云いたい事がありましたら
兼島 |
すごくいい思い出になりました。家族や親の応援、協力に感謝で一杯です。本当に有難う。 |
中村 |
夢があったからここまで頑張れた。私を支えてくれた友人たちに感謝です。 |
照屋 |
ありがとうという言葉を考えた人に感謝です。「ありがとう」と伝えたい人がたくさんいます。これからもよろしく。 | ─ありがとうございました。 |
 |
 |
▼戦後文化シアター ワーナーさんの写真館 |
 |
 |
 |
ワーナーさんたちが住んでいた嘉間良のテント | | 市民の皆様、広報おきなわのご愛読ありがとうございます。
さて、昨年からお届けしている「ワーナーさんの写真館」。今回は何の変哲もないテントの写真。ワーナーさんによるキャプションには「一九四五年十一月から翌四六年二月にかけて私が住んでいたコザ村にある海軍将校のテント」とある。場所は現在の嘉間良一丁目あたりか。
ワーナーさんは四五年の秋に沖縄へ赴任し、四六年二月には、ワトキンス少佐の行政補佐官として東恩納にあった軍政府司令部に勤務するため石川市へ移動した。つまり、彼はコザ時代の殆どを決して立派とはいえないこのテントで過ごしたことになる。「海軍時代はよかった」とは史家の話。沖縄の軍政が海軍から陸軍に移管されるのは四六年七月。沖縄の戦後復興に果たした役割はこの海軍時代が大きかったとの意味だ。沖縄のために奮闘した若き海軍エリートと貧弱なテント。このコントラストが微妙に可笑しい。
写真について情報をお持ちの方はご一報下さい!
連絡先:総務課・市史編集担当 電話:939−1212(内線2273) | | |
|
<< [1]
[2]
[3]
[4]
[5]
[6]
[7]
[8]
[9]
[10]
[11]
[12]
[13]
[14]
[15]
[16]
>> |