更新日:2026年3月23日
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明治の終わり頃まで、女の子たちはまりつき遊びに使う手まりを自作していました。
ソテツの実の周りから集めた綿毛や海綿などを芯材にして、糸をぐるぐる巻きつけてまんまるの球を作り、いろいろな色の糸で模様を刺繍します。
手間のかかる手まりは大正の初め頃に市販のゴムまりが出回るとすたれていきました。また、手まりはゴムまりほど高く弾みません。家の中で、座った姿勢でトントントンと速いテンポでついて遊ぶものだったようです。
展示されている手まりは沖縄こどもの国にあった「手づくり郷土館」閉館のときに譲り受けたものです。
飾り物として作られたと思われますが、大まかな作りは昔のやりかたをなぞっています。
★このうち一個に「コザ」と刺繍されています。探してみてね!★
ヘビトンボの仲間は、幼虫は川で育ち、蛹を経て翅のあるこの姿になる水生昆虫です。
オオキバヘビトンボは中国西部からベトナム、インドにかけて分布する種で、大きくてかっこいいですね。この標本は昨年の「地味な虫」という展示会で展示しようと個人的に購入しました。
「地味な虫」はヘビトンボのように名前も聞いたことがないような一般に知られていない虫を集めて、昆虫の多様性に注目してもらおうという展示会でした。ヘビトンボは特に好きな虫で、ぜひこの標本を見てほしいと買ったのですが、実際に並べてみると、小さくて地味な他の虫たちに対して、明らかにういていました。この標本が人気にはなりそうですが、他の虫たちを見てもらえないのではと心配になり、泣く泣くお蔵入りにしました。

暑い季節が来たので、クバオージを展示します。クバオージは、クバ(和名はビロウ)の葉で作られた扇(おうぎ)=オージです。
沖縄市では、クバはちょっとした林で見ることができる、とても身近な植物で、「市民の木」にも指定されています。
クバオージの作り方はとても簡単で、クバの葉を半分に裂いて適当な大きさに切り、畳などで押すだけです。上手に葉を伸ばして作りたいときには水に浸して、いったん葉を伸ばすこともあります。
うちわや携帯型の扇風機が増えたことで、クバオージはエイサーぐらいでしか見られなくなりました。博物館でクバオージを作りすぎた時、青年会に声をかけると、喜んでもらってくれることもありました。

シンプルな土器もステキですが、文様を施された土器もステキですよね。
土器の形や文様にも流行りすたりがあって、時代やその土地によってもさまざまな文様があります。沖縄から出土する土器は本土に比べるとシンプルな気がしますが、よく見ると文様のバリエーションは豊かです。
今回はどんな道具を使って文様を付けているのかに焦点をあててみました。
例えばリュウキュウチクでは、その先端をどう割くか、どう土器に押し当てるかによって文様は変わってきます。貝殻も、どの部分をどの角度で土器に当てるかによって文様は変わってきます。指を押し当てたときの指痕も立派な文様になるんですよ。
また、口縁を山形にしてみたり、突起を付けてみたりと、装飾する個所によっても工夫がみられます。

展示会「カマキリvsナナフシ」で標本を展示していたら、「生きているところを見てみたい!」とリクエストされたので、採集してきました。
ミズカマキリは細長い体にカマになった前あしと、カマキリのような特徴がありますが、水中にすむカメムシの仲間です。やはり肉食で、小さな水生昆虫や小魚などを捕まえて食べます。
カマキリのようなアゴではなく、カメムシの仲間に共通したストローのような突き刺す口をしており、消化液を注入して獲物の体内を溶かして吸って食べます。腹部の先には長い呼吸管があり、水面につけて空気の交換をしています。
ヒメミズカマキリは1980年代までは沖縄市でも記録がありますが、現在沖縄島内では見られる場所が少なくなりました。内地のほうには呼吸管を含めると10センチメートルほどになるミズカマキリや、八重山諸島にはよく似たマダラアシミズカマキリが分布しています。
八重島貝塚の遺物整理中に不思議な遺物を見つけました。その遺物は沖縄では出土例がない「注ぎ口の付いた土器」に似ており、見つけた時は沖縄で初めて出土した!?と思いました。しかし調べてみると残念なことに注ぎ口ではなく「高師小僧」(たかしこぞう)が付いた土器でした。
高師小僧とは褐鉄鉱(かってっこう)という鉱物で、地下水に溶けていた鉄分が、地中の根や茎のまわりに集まり固まったものです。
高師小僧という名前の由来は、愛知県豊橋にある高師原(たかしはら)の土が雨で流された後に露出した高師小僧の様子が、幼児や動物に似ていることから名付けられたといわれています。
昔の本土では薬として使用したり、戦時中には鉄不足から高師小僧を原料とした鉄作りが試されたものの、あまり質の良い鉄が出来ず実用化に至らなかったそうです。


発掘調査で見つかるものといえば、土器や石器・貝などで作った道具を思い浮かべる人が多いかもしれません。近代(明治~戦前)の遺跡を調べるとガラス瓶がたくさん出てきます。
プラスチックが無かった頃はガラス瓶をリサイクルしながら大切に使っていました。
中身は飲み物・薬・インク・化粧品など当時の暮しに身近なものです。
その頃はガラスに空気が入り、合わせ目や厚さが不揃いなものが多くありました。
表面に文字を浮かび上がらせたものもあり、現在と違うフォルムやネーミングセンスに心惹きつけられます。瓶の中身を光から守るため色の種類も大正の終わりから増えました。
口の形もコルク・金属・ガラスなどの蓋に合わせて工夫が感じられます。小さな瓶の中に当時の美意識がぎっしり詰まっています。


タイワンモクゲンジの幹にびっしりとついたニセアカヘリカメムシ(那覇市にて)
この時期になると、ピンク色の小さな紙風船が鈴なりになったような木があります。
ムクロジ科の樹木、タイワンモクゲンジです。すごい名前ですが、ムクロジの中国名「木患子」を“モクゲンジ”と読んだことが由来のようです。
台湾から沖縄に持ち込まれ、街路樹などとして植えられます。市内では明道公園の近くや市役所の前の広場などに植えられていますね。
紙風船のようなものは果実で、花は黄色で9月ごろ咲きます。この木に、赤い虫がたくさんついていることがたまにあります。ひどいところでは、幹の一部がイチゴジャムをこぼしたように真っ赤に見えるほどです。
調べてみると、ニセアカヘリカメムシという虫でした。タイワンモクゲンジの木の汁のほかに、昆虫を捕まえて吸汁することもあるようです。

江戸の獅子舞

沖縄市知花の獅子舞
獅子舞はお正月の風物詩として知られていますが、沖縄では旧暦のお盆や豊年祭を中心に登場します。
迫力ある表情とは対照的に、モフモフの胴体で尻尾を振りながら踊る姿には愛らしさも感じられます。
今回紹介するのはデイゴの木で作られた獅子頭(ししがしら)です。
軽く加工しやすいデイゴは激しい動きにも適していました。展示資料は色が剥がれ木肌が現れた部分や大きな亀裂が見られ、割れた下あごもそのまま残されています。
一見痛々しいですが、これは長年使われてきた証です。
傷だらけなのにどこか誇らしげな顔をしているように見えませんか。
常設展示室には修復を重ねながら受け継がれてきた色彩豊かな獅子の全身が展示されています。
両方を見比べて本品ならではの風合いや存在感を楽しんでいただければと思います。


ガスで火をつけることが当たりまえになる以前のくらしでは、火をくべるために必要な焚き付けや薪を集めることも大切な仕事でした。森林が少ない沖縄では木を日常的に切り倒すことはしなかったので、落ちている枝や葉、燃えるものはなんでも利用したといいます。
中でも松は年中葉を落とし、その葉は火がつきやすく、優秀な燃料でした。
みんな競って拾い集めたので、「うちの家の松の落ち葉だ!」と怒られたという話や、暴風で葉がたくさん落ちる台風のときこそ山へ集めに行ったものだという話が残っているほどです。木を割った薪は売り買いもされました。
うしろの人形の展示の中には、薪割りをする人や薪を運搬している馬車があります。また製糖やウータキーなど、火をくべながら作業を行っている場面もあります。その他の展示では、マチヤグヮー(商店)や改良カマドでも薪が置かれているのをご覧いただけます。
火をくべるためにもがんばって働いていた人々のくらしやその様子を、展示から思い浮かべてみてください。
オオマダラゲンゴロウは、東南アジアや中国に分布する中型のゲンゴロウで、2025年に本部半島で確認されました。
ゲンゴロウはファンの多い昆虫であり、これほど目立つ種が島内で長く見逃されていたとは考えにくく、当初は人が持ち込んだ外来種だと思いました。
しかしその後の形態の比較から中国産と推察され、自然に飛来した個体に由来するのではと考察されています。
本種は約140年前に熊本(肥後)での採集記録が1例あります。池は自然状態では徐々に陸地化していく、不安定な環境です。そのため、このような場所に生息する水生昆虫には、飛行して移動できる翅を持つ種が多く、移動性が高いことが知られています。
ほかにも、飛来して沖縄に到達したと考えられる水生昆虫が採集された事例があり、こうした半ば偶然にやってきた生物も沖縄の生物相を構成する一因になっていると考えられます。
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