更新日:2024年2月2日

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2008年度の一品紹介

 沖縄市のドングリ

沖縄市のドングリの写真沖縄県にはドングリのなる木が6種類あります。
そのうちイタジイ、オキナワウラジロガシ、マテバシイ、アマミアラカシの4種類は、沖縄市内で見つけることができます。
オキナワウラジロガシとイタジイ、マテバシイは、沖縄市北部の嶽山原と呼ばれる森林にはえています。
アマミアラカシは、市街地に近いウタキや拝所に残された林でも生えています。
左上(イタジイ)/右上(アマミアラカシ)
左下(オキナワウラジロガシ)/右下(マテバシイ)

(2009年3月30日 更新)

 しょうゆ瓶

しょうゆ瓶の写真発掘調査は先史時代などの古い時代だけではなく、戦前の集落跡の調査を行うこともあります。
今回紹介する一品も戦前の屋取集落である「池原上田原・仕明座原遺跡」の屋敷跡から出たものです。瓶の底にある「NODASHOYU CO TD」の字からしょうゆ瓶であることが分かり、「NODASHOYU」について調べてみると、現在の「キッコーマン」であることが分かりました。

(2009年3月23日 更新)

 貝輪

貝輪の写真今から2000年前、本土の弥生時代に、沖縄と本土の人々は交易を行っていました。交易品の一つになっていたのが貝輪です。
今回紹介する貝輪はゴホウラという貝で作られています。ゴホウラなど貝輪の材料となる貝は南西諸島でしか取れない貝です。
貝輪はとても貴重だったようで、本土の有力者に好まれていました。貝の装飾品は北海道でも見つかっています。弥生時代の人々が、南西諸島の貝をとても重要視していたことがわかります。
展示品はレプリカです。

(2009年3月16日 更新)

 ピンク電話

ピンク電話の写真正式名称は「特殊簡易公衆電話」です。
ピンク電話が登場したのは、今から50年前(1959年)、レストランや喫茶店などに置かれました。そして、この電話は、それまでのピンク電話より大型化したので「大型ピンク電話」と言われ、37年前(1972年)頃に登場しました。(この電話の製造年は1982年です)
今では、ほとんど見なくなった「大型ピンク電話」ですが、現在でも使用されています。

(2009年3月2日 更新)

 クチャ

クチャの写真クチャは岩石の一種で、シルト質粘土(シルト質泥岩)のことです。沖縄市では中城湾沿いの低地から美里あたりまで分布しています。去年行われた仲宗根貝塚の発掘調査では、地表から約5m下で見ることができました。
クチャは今ではエステなどの泥パックや美容品などに利用されていますが、昔は今のシャンプーのように髪の毛を洗うのに使っていたそうです。実際に使った人に聞くと髪がサラサラになったそうです。

(2009年2月23日 更新)

 シシダマ

シシダマの写真標準語ではジュズダマです。シシダマに糸をつけた針を刺し、つなげてブレスレットにするのが定番の遊びです。名前からすると、遊び方は沖縄でも県外でも、同じだったようです。
シシダマはインド原産の植物で、葉は家畜のエサになります。川辺など、湿ったところが好きです。川がコンクリートの三面張りやボックスカルバートにされると、水辺の植物は生えにくくなり、以前のように見られなくなりました。
チョコのお返しに悩む皆さん、お店で買ったものではなく、たまには手作りで、懐かしいものを贈ってみるのはいかがですか?でも、うまくいくかどうかはアナタ次第・・・

(2009年2月16日 更新)

 オキナワグラフ

オキナワグラフの写真『オキナワグラフ』は、1958年、崎山喜昌氏が創刊した沖縄で初めての写真入りニュース誌です。
2009年2月現在で563号を発刊した『オキナワグラフ』は、毎月、写真画像で切り取った沖縄の「今」を伝え、広く県民に親しまれています。
展示されているのは、知花公民館落成の記事が掲載されている1976年1月号と、一番街オープンの記事が掲載されている1977年7月号で、1970年代半ばの沖縄市の様子を知ることのできる貴重な資料です。

(2009年2月9日 更新)

 海洋博開襟プリントシャツ

海洋博開襟プリントシャツの写真「海洋博」とは、沖縄国際海洋博覧会を短くしたものです。1975年7月20日から6ヵ月間にわたり沖縄本島北部の本部町で開催されました。
このシャツは、寄贈者の家族が、海洋博のイベントに出場したときに着たものだそうです。海洋博の「EXPO’75」は、海洋博のシンボルマークとともに、ロゴタイプとして広く政府の広報などに使用されました。
この開襟シャツにも、南国をイメージさせる花の写真とともに、全体的にシンボルマークが配置されています。

(2009年2月2日 更新)

 ジュリ馬(平安名常亀人形)

ジュリ馬(平安名常亀人形)の写真この祭りは、那覇の旧遊廓辻町の、二十日正月の行事です。ジュリ(尾類)は遊女、馬は馬舞のことです。
ミルク(弥勒神)や獅子などを先頭に行列が行われますが、中でも最もはなやかなのが、ウマメーサー(馬舞者)と呼ばれる女性の集団です。打掛を羽織った女性が、腰に板で作った馬首をつけ、手綱を操り「ユイユイ」と掛け声を上げながら、練り歩きます。
ジュリ馬行列の起源は、辻遊廓に売られた女性は、家族との面会も許されなかったため、年に一度、このときに家族と互いの姿を確かめ合ったという一説があります。

(2009年1月26日 更新)

 クジャクの尾羽(おばね)

クジャクの尾羽(おばね)の写真正確には、尾羽ではなく上尾筒(じょうびとう)といいます。この羽根は、毎年抜け落ちるので、落ちた羽根を使って飾りなども作られます。
野生のクジャクは数が少なく、法律で、クジャクやその羽根、羽根で作られたものを外国から持ち込むことが禁止されています。
(国内のクジャクの羽を使うことは問題ありません。展示品は沖縄こどもの国提供)
一方で、沖縄の離島のリゾート施設から逃げ出したクジャクが、そのまま野生化して問題になっています。

(2009年1月19日 更新)

 ウシオーラシー(平安名常亀人形)

ウシオーラシー(平安名常亀人形)の写真ウシオーラシー(闘牛)は、牡牛同士を戦わせるもので、農村の娯楽のひとつとして、6月から9月にかけて行われました。
対戦中の牛の側には、闘牛士(勢子)がつき、戦いを鼓舞します。
平安名さんと一緒に、近くのウシナー(闘牛場)見物にいった息子さんは、ワタアメやハチャグミなどのお菓子を食べられるのが楽しみだったといいます。
現在は、闘牛愛好者団体による「大会」形式で行われており、年間約50回、行われています。

(2009年1月13日 更新)

 蓑(みの)

蓑(みの)の写真蓑(みの)は、草の葉や繊維でつくった雨具です。
クバ、シュロ、菅(スゲ)、藁(ワラ)を素材にしたものが知られています。
これは、クバで作られたものです。クバ蓑は、クバの葉をそのまま重ねる方法と、一枚ずつ裂いて編みこむ作り方があります。
藁はむかし一般的な蓑としてよく見られましたが、水に弱いという欠点がありました。
シュロは、丈夫で、雨も漏れず、風の抵抗も少ないので上質とされました。

(2009年1月5日 更新)

 シンジュサン

シンジュサンの写真時々、「家の灯りにヨナグニサンがやってきたよ。」と教えてくれる子どもがいます。しかしヨナグニサンは八重山にしか居ないので沖縄市で見ることはできません。ヨナグニサンとよく間違われるのはシンジュサンという蛾です。
日本一大きいヨナグニサンに比べると小さいですが、家の灯りに突然飛んできたらびっくりする大きさです。

(2008年12月15日 更新)

 ウメーシタティ

ウメーシタティの写真竹でつくった箸たてです。箸以外にも、しゃもじなどを入れることができます。
ふつうは一節のもので、下に水切りの穴をあけ、柱に釘止めして使いました。これは、三つの節を使っていて、一つの節のものより、多く箸などを立てることができます。
箸たてが登場するのは、お膳の生活から食卓の生活へと移り変わってからのことでした。

(2008年12月8日 更新)

 廃油ボール

廃油ボールの写真これは、1975年に糸満市で見つかった廃油ボールです。
廃油ボールは、船を掃除した時に、海に捨てられる重油などの油が、海の中で固まってできたものです。復帰前はきれいな浜に廃油ボールが転がっているのがよく見られました。
今では、法律で船から油を捨てることは禁止されています。

(2008年12月1日 更新)

 わらぼうき

わらぼうきの写真今から50年ぐらい前、学校の宿題のひとつに、ほうきを作って持ってくるというのがありました。学校のほうきは、子供たちの手作りだったのです。
これは、稲のワラで作られています。生活で使う道具としてではなく、趣味で作られたものですが、机のそうじなどにちょうどいい大きさです。柄の編み方がきれいですよね?

(2008年11月25日 更新)

 八角凧

八角凧の写真沖縄の島々には、個性のある形と色をした凧が残っていますが、中でも、八重山地方は、この八角凧をはじめとして、六角凧、セミ凧、ジーピギダー(字凧)など多くの種類の凧が伝わっている地域です。
八角凧は、正方形の骨組み2つを組み合わせてつくります。八角形や六角形の凧の彩色は、黒と白、赤と白の組み合わせが特徴です。

(2008年11月17日 更新)

 カメの脱皮がら

カメの脱皮がらの写真これは、アカミミガメの脱皮がらです。生き物が、古い皮やカラを脱ぐことを脱皮と言います。硬いカラのエビやカニ、昆虫や、は虫類などが脱皮をします。
カメには脱皮するものと、脱皮しないものがいます。脱皮がらを見ると、甲らに合わせて皮がむけている様子が分かります。カニとは違い、脱皮したすぐ後も甲らはかたいので、敵に襲われる心配は少ないようです。

(2008年11月10日 更新)

 学生帽

学生帽の写真沖縄には、かつて学生服と学生帽を制服とした中学校・高校がありました。現在では学生帽を付ける学校はとても少ないようです。
この学生帽は未使用ですが、帽子にどんな型を付けて、どんなかぶり方をするとカッコいいか、当時の学生はいろいろと研究を重ねていました。

(2008年11月4日 更新)

 カマンタ

カマンタの写真鍋(シンメーナービなど)で、煮炊きするときにかぶせる蓋(ふた)のことで、芋の煮炊き、餅作りにはかかせない道具のひとつです。
沖縄本島では一般的に「カマンタ」「ハマンタ」、国頭地方・慶良間・宮古・八重山では、「ナビヌフタ(鍋の蓋)」「ナビンフタ」、沖縄本島南部糸満市一帯では、「シンタ」などと呼ばれています。
ススキや茅(カヤ)で作られているのが多いのですが、ビロウの葉やワラ製も見られます。
使い方は同じでも、地域により、呼び方や素材などの違いがあります。

(2008年10月28日 更新)

 シンメーナービ

シンメーナービの写真シンメーナービは、家庭で、芋を炊くときや、多人数の炊き出しに使われる円形の鍋です。餅を蒸すときにも使われます。戦前は、鉄でできていましたが、戦後はジュラルミン製が多くなりました。
シンメーのメー(枚)とは、鍋の大きさをあらわす単位です。メーは一定の鉄の塊を表し、四メーとは、四枚分の鉄でつくった鍋ということです。
シンメーナービは、水が約28リットル入ります。

(2008年10月20日 更新)

 鉦鼓(ソーグ)

鉦鼓(ソーグ)の写真祭りや綱引きに使われる打楽器で、たんに、鉦(かね)とも呼びます。
真鍮(しんちゅう)や青銅(せいどう)で作られています。
かつて念仏者が、葬式や法事で打つ時にも使われていました。
また、戦前は、沖縄市古謝、登川、池原、比屋根、山里において、エイサーでも鉦鼓役が存在していました。池原では、エイサーの鉦鼓役を「ケンケラー」「ケンケングヮー」と呼んでいたそうです。

(2008年10月14日 更新)

 ジュリカン

ジュリカンの写真水・燃料などを入れる容器です。5ガロン(約19リットル)入ります。(1ガロン=約3.8リットル)
戦後、物が不足していた時代には、人々の間に出回り、水缶(水入れ)として使われました。また、終戦直後は、エイサーの太鼓代わりに使われたり、海水浴での浮き袋代わりにもなったそうです。

(2008年10月6日 更新)

 寛永通宝

寛永通宝の写真これは江戸時代に使われていた寛永通宝という昔のお金です。
その昔、琉球では海外貿易が盛んで、特に中国や日本と貿易をしていました。このお金も日本との貿易の時に入ってきたもので、琉球でも通貨として使われていました。
このような小さなお金からでも琉球の歴史が見えてきそうですね。

(2008年9月30日 更新)

 ブラヤクン(ホラ貝製ヤカン)

ブラヤクン(ホラ貝製ヤカン)の写真ブラヤクンとはホラ貝のやかんのことです。貝の中心に穴をあけ、かぎの形をした木の枝や縄を通して柄にしました。宮古・八重山では近年までお湯を沸かすのに使われました。これで沸かして飲むお茶はおいしく、また病気を治す力があると信じられていました。
実際に使ってみると、カラがはがれてしまったことがあります。ガスコンロの火では急に温度が高くなるためでしょうか?

(2008年9月16日 更新)

 ジーファ(かんざし)

ジーファ(かんざし)の写真伝統的な女性の髪型を真結(マーユイ)といい、一本のかんざしを使います。女性のかんざしはジーファと呼ばれ、琉球王朝時代には身分によってジーファの材質が決められていて、上流の女性は、金や銀、一般の女性は真鍮、べっ甲、木を使いました。
明治以降はこのようなアルミのかんざしもありました。スプーンのような形をしたところをカブといい、棒のところを竿といいます。竿は細長く、鉛筆のように六つの角があります。

(2008年9月9日 更新)

 アダン葉サバ

アダン葉サバの写真アダンの葉でつくった草履です。アダンの葉を粗めに裂き、数時間蒸して、陰干ししたものを、編んでつくります。
使う時は、水に浸し、やわらかくして使います。
ワラジより軽いのですが、水に弱いのが欠点で、あまり丈夫ではありません。
久米島では、一里(約4キロ)も歩くとだめになることから、「一里サバ」とも呼ばれたそうです。

(2008年9月3日 更新)

 石臼(いしうす)

石臼(いしうす)の写真石臼は、米や大豆を挽いて粉にするのに使われました。この臼は砂岩の硬いところを使ってつくられています。
北中城村渡口でよく作られていたため、トゥグチとも呼ばれます。砂岩は柔らかく、加工しやすい反面、石臼などに使われると磨り減ってしまいます。
味にこだわって、今でもコーヒー豆や大豆を臼ですりつぶす人もいます。豆は機械でつぶすと熱を持つため、味が落ちてしまうからだそうです。

(2008年8月26日 更新)

 東京オリンピック 聖火リレーのユニフォーム

東京オリンピック 聖火リレーのユニフォームの写真1964年、東京オリンピックの年のことです。沖縄市にもオリンピックの聖火がやってきました。聖火は那覇をスタートして、沖縄島を1周しました。
東側のルートでは、高原→コザ高校前→知花→うるま市具志川赤道 と抜け、辺戸岬へ進みました。
西側では、池武当→センター→プラザハウス→ライカム のルートで那覇に戻りました。
まだ沖縄は日本に復帰していなかったものの、ランナーの胸には大きく日の丸が描かれています。(個人蔵)

(2008年8月18日 更新)

 アンガマ

アンガマの写真この木でできたお面。口元から笑い声がこぼれてきそうですね。これは「アンガマ」といって、八重山地方で祖先の霊をあらわすものです。
歯が一本あるのがおじいさん(ウシュマイ)で、となりはおばあさん(ンミー)です。八重山の家庭ではお盆の夜に、このお面を被った祖霊を家に迎えて、歌と踊りの盛大な宴を催します。
そうすると、家の人々は亡くなったご先祖様が本当にお家に帰ってきているようで、なんとも懐かしい気持ちに包まれるのだそうです。

(2008年8月12日 更新)

 ヤコウガイ

ヤコウガイの写真ヤコウガイはサザエの仲間では世界最大といわれています。殻の直径は最大で約20cm、重さ2.5kgにもなります。奄美よりも南の海で捕れる貝で、食べるととてもおいしいそうです。漢字で書くと「夜光貝」となります。屋久島はヤコウガイが取れるから「ヤコウガイの島→屋久島」となったと考える人もいます。そのくらい、価値のある貝だったのです。
でも、それはなぜ?殻の内側のかがやきを見てください。真珠のようにきれいな層がとても厚いので、螺鈿細工の材料として使われました。
海の中にも、沖縄の文化をささえる自然があるのです。

(2008年8月5日 更新)

 チャート

チャートの写真チャートは、珪藻や放散虫といった海の生き物(プランクトン)が海の底にたまってできた岩石です。
とても堅く、ハンマーなどで叩くと火花が飛び散るため、火打ち石として利用されたこともあります。また、割れ口は、とても鋭いため、先史時代には矢じりとして使われました。
沖縄では、本部半島や伊江島、伊是名島などで見ることができます。

(2008年7月23日 更新)

 渡名喜瓶(トゥナチビン)

渡名喜瓶(トゥナチビン)の写真この焼き物の瓶、なんとなくある物に似ていませんか?そうです、これはヒョウタンの形をモデルにしてつくられています。
渡名喜瓶は、沖縄で18世紀から19世紀に盛んにつくられた焼き物です。泡盛を入れるのに使われたものですが、今ではお墓などで花瓶として使われているのもよく目にしますね。
ところで、なぜ渡名喜瓶という名がついているのでしょうか? 一説には、「渡名喜島の人たちがよく注文してつくってもらったから」と言いますが、本当のところはどうなのでしょうね?

(2008年7月2日 更新)

 打製石斧

打製石斧の写真磨製石斧は、製作の最後に磨きを入れますが、打製石斧は、磨きを入れず、打ち欠きだけでつくります。そのため、打製石斧と呼ばれています。
展示されているものは、市内の室川貝塚から出土したものです。今から約3500年前に使われていたと考えられています。
石質は輝緑岩で、打ち欠きだけで作られたにもかかわらず、きれいな短冊型に仕上げられています。

(2008年6月25日 更新)

 かき氷機

かき氷機の写真このかき氷機は、お店で使われていたもので、大きな四角の氷をかき氷にします。かなりの重さがあるので、力を入れてハンドルを回しても安定しています。
このタイプは、現在でもほとんど同じものが売られているほど、つくりが完成しています。部品が少ないので、めったに故障もしません。
アスファルトに浮かぶ陽炎。その向こうにはためく「氷」の旗。頭にキーンとくるあの痛み・・・かき氷日和はもうすぐです。

(2008年6月17日)

 キセル

キセルの写真日本にタバコが入ってから、長い間、キセルはタバコを吸う人に欠かせないものでした。
キセルの先にタバコの葉を入れて燃やし、煙を数口吸い、葉が燃え尽きると灰を捨てます。用意するのは火種、灰皿、替えのタバコの葉などで、タバコ盆にセットで入っています。タバコの葉は数口でなくなるので、ひんぱんに葉を交換しないといけません。
キセルの金具を作るには熟練の技がいります。手間のかからない紙巻きタバコがはやっている今、キセルを作る技術も失われつつあります。

(2008年6月10日 更新)

 タイプライター

タイプライターの写真タイプライターは、もともと英語の文章を印刷するために発明されました。ボタンに合わせてハンコが押される仕組みで、例えば「A」にボタンを合わせて押すと、紙に「A」と打ち出されます。
しかし、日本語になるともう大変!漢字が多いので、英語なら少しで済んだ字の数が2,000以上もあります。
今のパソコンのキーの20倍もある字の中から、ひらがなや漢字を探すのです。でも、だからこそ、タイプライターを打つのが上手な「タイプ職人」が生まれたとも言えますね。
タイプライター、ワープロ、パソコン・・・次は、何が待っているのでしょう?

(2008年5月26日 更新)

 土器

土器の写真先史時代の遺跡で多く出土するものに土器があります。土器は、その名のとおり、土で作られた器です。基本的に粘土に砂や砕いた岩石をまぜて、つくられます。粘土に砂や岩石を入れる理由は、粘土だけで作ると焼くときに割れるからです。
土器は先史時代に使われたものというイメージがありますが、実際には、今でも世界中のいろいろな場所で使われています。八重山でもパナリ焼という土器が作られています。

(2008年5月20日 更新)

 ダイオウサソリ

ダイオウサソリの写真ダイオウサソリは、見た目より大人しく毒も弱いため、ペットとして人気があります。手に乗せられるようになると、飼うのがもっと楽しくなります。
でも、気を付けてくださいね。ダイオウサソリは、もともと沖縄にいない生き物で、初めて見る人には、恐ろしい毒虫です。ペットは人が飼うからペットなのです。捨てられたり、逃げた生き物は、生きているだけで人や自然に迷惑をかける害虫、害獣になります。どうか、忘れないでください。

(2008年5月12日 更新)

 サラサバテイ

サラサバテイの写真この貝は、貝殻が比較的厚く、みがくととてもきれいなことから、今から60年前ごろは、ボタンの材料として、たくさんとられていました。沖縄ではタカセガイと呼ばれています。
その後、安いプラスチック製のボタンが作られるようになってからは、貝で作られたボタンは少なくなり、今では昔ほどとられなくなりました。しかし、現在でもいろいろなアクセサリーの材料として使われています。また、身もおいしいですよ。

(2008年4月30日 更新)

 海邦国体グッズ

海邦国体グッズの写真「きらめく太陽、ひろがる友情」をスローガンに1987年秋に沖縄県で開催されました。
第42回国民体育大会「海邦国体」は、全国一巡の最後を締めくくる大会であり、復帰15周年を記念する大会でした。
総勢1,090人の大選手団を編成した沖縄県は、「一人一役万人が主役」を合言葉に県民の大声援に後押しされ、男女総合、女子総合の完全優勝を果たしました。
マスコットは、ヤンバルクイナの「クイクイ」です。

(2008年4月22日 更新)

 ガラスビンのコップ

ガラスビンのコップの写真ジュースのガラスビンは厚く、割れにくいので、コップなどに使われました。また、ガラスビンは琉球ガラスの材料としても欠かせませんでした。ビンを切って、下はコップに、上は風鈴にされました。
ビンを切るのに使うのは針金で、ビンに巻いた針金を熱くして、水で急に冷やすと、綺麗に割れます。そのせいか、今でも井戸の近くの草むらには、古いガラスビンやかけらが見つかることがあります。

(2008年4月16日 更新)

 ダチビン

ダチビンの写真ダチビンは、水筒のように外に飲み物を持って行くために作られています。でも、中に入れるのはお茶やジュースではなく、お酒です。
沖縄独特の焼き物で、腰にピッタリ当たるように、三日月みたいな形をしていると言われています。ヒモで肩から掛けられ、両手を使うこともできます。アウトドアにぴったりです。

(2008年4月8日 更新)

 石敢当

石敢当の写真石敢当は、魔除けの一種で、悪い病気や災いを跳ね返すとされます。災いは風のような姿で、道をまっすぐ進んでくると考えられていました。そして入った家に悪いことが起こります。
人々は考えました。「どうやったら災いが来なくなるかな?」村の境には石の獅子(シーサー)を置きました。災いをここで跳ね返すためです。「でも、シーサーが効かなかったらどうしよう?」家の前にヒンプンという壁を置いて、災いを跳ね返すことにしました。「でも、家の角から来たらどうしよう?」家の塀の角などに石敢当を置きました。
このように、災いを逃れ、幸せな日々を送りたいという願いが、私たちの周りにあふれています。

(2008年4月7日 更新)

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〒904-0031 沖縄県沖縄市上地2丁目19番6号

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