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◆ 広報おきなわ3月号(No.405)

沖縄市
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今月の人 191

満足はない、荒海に
  今日も船を出す

金城與 志雄さん(57)
     豊さん(26)


  市漁協で水揚げした新鮮な魚を販売する店。パヤオ直売店がある。春のキハダやメバチマグロ、シイラ、サワラ、カジキなどが並ぶ。どさっと積み上げられた大量のマグロが運ばれてくる。金城さんの親子船である。金城さんは昨年、市漁協で年間水揚げ高トップの成績で表彰された。今月は金城さんに話を聞く。

 活気づく港内の鮮魚直売店から、約五十キロ離れた沖合に浮魚礁(パヤオ)がある。市漁業協同組合のパヤオ研究会が二十年前から設置し、現在、約十一基がある。そこが、金城さんの漁場だ。
  パヤオが二キロ間隔で設置され、海に浮かぶパヤオの下に小魚がやって来る、それを目当てにマグロやシイラなどの大型魚が集まってくる。金城さんの腕が鳴る。素早く糸を下ろし、針とまき餌を上から流し、マグロやシイラが食いつくのを待つ。日々、変化するのが魚場の顔。今日はどうだろう。
  金城さんが漁業をはじめたのは三十歳の頃、サバニを購入して兄とともに始めたのが漁との出会い。父親が漁師だったこともあり、常に身近にあった。
  それから、知念漁協のマグロ漁師らに学び腕を磨いてきた。
  現在は三年前に購入した漁船「満丸」(九・一トン)に乗り込み漁に出る。ソデイカとマグロ漁が中心だ。ソデイカ漁は、大東島沖が魚場で、出れば一週間は帰らないという。二十本のワイヤを深さ五百メートル程まで下ろす。
それから約一週間、午前四時から夜中までイカが食いつくのを待つそれがソデイカ漁である。
  本島東沖のパヤオの漁には長男の豊さんも一緒に出る。「中学時代から船に乗っているので自分より動きはいいですよ。腕は五分といったところか」と目を細める。
  豊さんは年間の半年は船に乗り、後の半年は社会勉強として、東京など県外の職に就いている。「海だけではなく、社会の荒波にももまれないとだめ」が親父の持論だ。
  どうすれば多く釣れるか、どんな仕掛けがよいのか、試行錯誤の毎日が海人の日常だと話す金城さん。これまで貢献度(年間水揚げ高)表彰を獲得した五回のうち三度トップに立っている。
  「しけの時は今だに酔うことがあるが、船に乗り込んだときから緊張感を保ってないとだめ、油断が一番怖い」と常に自分に言い聞かせているという。その分、船から上がると一気に疲れも出る。船板一枚下は地獄の世界、気象の変化で海がどう変わるか誰にも読めない。船に我が身をまかせ海人たちは魚と戦う。
  金城さんは満丸とともに「今日より明日」の向上心で魚たちを追い続ける。


▼戦後文化シアター
  今月のヒストリート

 先月より「しーぶんかん」で企画展『コザの刺繍店』が開催されています。
  かつて、本市は「基地の街」と呼ばれ、多くの商工業者が外国人相手の商売に携わっていました。企画展で取り上げている刺繍店は、Aサイン業・質屋・スーベニヤなどと同様、基地の街ならではの特殊な商売として誕生、発展してきました。Aサイン業と同じく、刺繍店もベトナム戦争の頃は多くの米兵が訪れ大いに儲かっていましたが、Aサイン業とは違いオフ・リミッツや全軍労闘争など、基地に関わる事件によって客足が途絶えることは殆どなかったようです。しかし、復帰後は円高ドル安の影響で商売がなりたたなくなって廃業した店や邦人相手へ商売替えをした店がありました。
  このように、基地の街ならではの商売である刺繍店の誕生、盛衰が今回の企画展でわかります。残り一ヵ月の開催です。どうぞ、ご覧下さい。


▲海兵隊マスコットであるブルドッグの刺繍と基となったデザイン画
問い合せ
市史編集担当
  TEL 939-1212(内線2273)
ヒストリート、しーぶんかん
  TEL 929-2922
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