語り続けよう平和への鼓動

9月7日とは
沖縄戦が最終的に終結した日─。
1945年のこの日、沖縄市(旧越来村森根)で降伏調印式が行われた─。
住民が戦闘の脅威から解放されるとともに、戦後の地方行政がスタートし、郷土復興が始まった。

語り続けよう 平和への鼓動

1945年9月7日、沖縄市(旧越来村森根)で沖縄戦の降伏調印式が行われた。
 住民が戦闘の脅威から解放されるととともに、戦後の地方行政がスタートし、郷土復興が始まった。市民が日常生活の中で平和を考え、話し合い、行動しようと市は毎年8月1日から9月7日までを「平和月間」と定めた。その期間中、平和に関する様々なイベントを企画、市内外に平和の尊さを発信した。また、市では親子がともに平和について、見て、聞いて、考えて学んでもらおうと、平成3年に市内の中学生とその父母7組14人を「親子平和大使」として広島市に派遣した。その、平和学習・交流事業から今年で20年を迎えた。これを機に今月号は沖縄市の平和行政事業にスポットを当て、平和についてあらためて考えてみたい。

平和のうねりを外に向かって沖縄市より発信

ひとりひとりが大切にされ大切にする街をつくるために

 沖縄市は「沖縄市民平和の日を定める条例」を平成五年三月に制定し、九月七日を「市民平和の日」として決めた。そして日本国憲法と「核兵器廃絶平和都市宣言」(昭和六〇年六月二十日)の理念を基に、すべての市民が人間としての基本的人権が保障され、戦争の不安を取り除き、二度と戦争の惨禍を"繰り返さない、許さない"ことを決意した。
 さらに多くの市民が日常生活の中で平和を考え、話し合い、行動するために毎年八月一日から九月七日を「平和月間」と定めた。
 平和月間は、すべての人々が等しく平和で豊かな生活がおくれる「人にやさしい地球社会」「ひとりひとりの生命を限りなく大切にする」平和なまちづくりのために、ひとりひとりが平和へのアクションを起こす草の根平和活動を目指している。親子平和大使事業のスタート
 おきなわ発・平和トライアングル
 平成三年に誕生した親子平和大使事業で大使らは「豊かな生活を送っている私たちは本当の意味での平和をどれだけ理解しているのだろうか」「平和学習を有意義なものにしたい。体験をとおして得た知識を広くみんなに伝えたい」「原爆の被災地を訪れじかに見て、平和について考えたい」「非常に貴重な使命を受けたと思う。短い学習期間だがあらためて平和について考えたい」などと話した。
 戦争が終わっても、まだ苦しんでいる人たちがいる、戦争の悲惨さは終わったから平和になるものではない。真の平和について親子で考え、体験する意義深い親子平和大使はそんなふうにスタートした。 平和大使ら一行は被爆体験者講習会、平和資料館の見学、平和祈念式典参列、平和コンサート、灯ろう流しなどに参加するなど三泊四日の平和学習の開始でもあった。そして市では今後も広島、長崎市との交流を重ねていこうと「おきなわ発・平和トライアングル」として名付け平和大使派遣を通し、平和の大切さ、生命の尊さを学ぶことによってより平和がみえてくるという観点から同事業を発展させようと市は平和を発信し続けた。平和へのアクションを起こす草の根平和運動の広がり平成五年に市議会で条例化された
 「市民平和の日」にともない市では平和へのアクションを起こす平和活動がスタートした。市民平和の日は全てのものを破壊する戦争を繰り返さないとする市民の総意に基づき、全ての人が等しく平和で豊かな生活が送れるまちづくりを目指すことを目的として全国で初めて条例化した。
 同年の八月二日午前、平和月間開始宣言で当時の新川市長が「平和月間はすべての人々が人にやさしい、ひとり一人の生命を限りなく大切にする平和なまちづくりのための草の根平和運動を目指すもの、平和のために私たちは何をしたらよいのかを考えひとり一人が平和へのアクションを起こそう」とあいさつ。
 この後、市三役、各部長がメッセージと平和の折り鶴を携え、市内の三十六自治会を巡回、草の根平和運動を全地域へ広げようと呼びかけた。
 各自治会でひとり一人が折った五千羽の折り鶴は二年前からスタートした平和大使によって広島、長崎被災者慰霊の碑に奉納された。

▲全国の使節たちが集まる「青少年ピースフォーラム」に参加、沖縄の実情をアピールした

▲平和について考えよう「降伏調印の碑」を見る戦跡ウォッチングの参加者

▲ページトップへ