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◆ 広報おきなわ10月号(No.376)

特集No1
平和を願う心を伝えていこう
沖縄戦は、住民を巻き込んだ悲惨な地上戦であり、美しいこの島が焦土と化し、住民や日米軍人など二十万人余の尊い命が犠牲となった。

この沖縄戦の降伏調印式が一九四五年九月七日、沖縄市(旧越来村森根)で行われた。

沖縄市ではこの日を沖縄戦の終結の日、さらに平和へ歩みはじめた日と位置づけ「沖縄市民平和の日」と定めた。又、市民が日常生活の中で平和を考え、話し合い、行動しようと市は、毎年八月一日から九月七日までを平和月間と称し、その期間中、沖縄地上戦の実相を広く世界へ発信するとともに、平和に関するさまざまなイベントを企画、市内外に平和の尊さをアピールした。今月号は平和月間に行われた各事業を紹介するとともに、今改めて「平和」について考える。
地域に根ざした草の根平和活動の展開を

沖縄市は一九九三年に「沖縄市民平和の日を定める条例」を制定し、九月七日を「市民平和の日」として定めた。そして、日本国憲法と核兵器廃絶平和都市宣言(一九八五年六月二十日)の理念の基に、「すべての市民が人間としての基本的人権が保障され、戦争の不安を取り除き、二度と戦争の惨禍を繰返さない、許さない」ことを決意した。

平和月間は「市民が等しく平和で豊かな生活が送れるように、また市民一人ひとりの生命を限りなく大切にする生活にとけ込んだ平和意識を創りだし、地域に根ざした草の根平和活動の展開をめざす」と高らかにうたっている。

「語り継ごう次世代へ、平和な社会の尊さを」をテーマに二〇〇五年平和月間が八月一日、スタートした。
悲惨な戦争を絶対、繰り返してはいけない

開始セレモニーで行われた「ユキヒロ」ミニコンサート
八月一日、平和月間の初日、市役所市民ホールで行われた平和月間セレモニーで仲宗根市長は「今、世界では、地域紛争やテロ、貧困などにより多くの人々が命を落としたり、人間としての尊厳を踏みにじられるなど、深刻な問題が数多く存在している。悲惨な地上戦を経験したこの沖縄から、平和の尊さ・命の大切さを発信していくことは大変意義深いことであり、地上戦を体験した私たち沖縄県民だからこそ、人々の心に強く訴えることができるのである。

戦後六十年を迎えた今年、戦争体験が風化してしまわないよう、決して忘れてはいけないものとして再確認し、次世代へ継承していくことが最重要課題である。多くの市民・県民の皆さんが各種の平和行事へ参加していただき、市民平和の日、平和月間における恒久平和への希求の祈りを理解していただくよう念願する」と平和月間の開始を宣言した。

続いて長崎市へ派遣される沖縄市平和大使十五人が紹介され、平和大使を代表して、美東中学校一年生の上田光貴君が「いつ戦争が始まってもおかしくない時代がこないとも限りません。そうならないためにも、お年寄りにかわり僕たち若い世代から“戦争はいけない事だよ”ということをより多くの人々に伝えていかなければならない。それが僕たちにできる事です。戦争をこの世から無くすために、何年かかるのかは分かりません。もしかしたら遠い未来になるのかもしれません。それでも僕たちは、いつかきっと来る“戦争撲滅の日”のために、平和の大切さ、命の尊さを、この世の中に発信していきたいと思います」と訴え、同中一年生の諸見里沙紀さんは「今でも戦争がこの世界で起きています。私たちだけが平和に暮らすのではなく、世界全体が平和になる事を願います。しかし、私たちの住む沖縄では昨年八月に大学構内にヘリが墜落しました。また、沖縄市には大きな嘉手納基地があり、上空では飛行機やヘリがよく飛び交う危険な場所に私たちは住んでいます。平和にみえるのは外側だけです。醜く、悲惨な戦争を繰り返さないためにも、一人ひとりが過去の戦争の辛さを知る事が第一歩だと私は考えています。私たち沖縄市平和大使十五人は、平和について考え、いろんな人たちに戦争のむごさについて訴えていかなければならないと思います。どうしたらこれからも永遠に戦争をなくす事ができるかを考えていかなければなりません。沖縄だけではなく世界に平和な時が来ることを信じ、精一杯長崎で学習してきます」と力強く誓った。
原爆の恐ろしさを訴えた原爆展
沖縄市平和月間開始セレモニー
長崎市で行われた青少年ピースフォーラム多くの意見が出た
グループ討議で行われた青少年ピースフォーラム
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