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◆ 広報おきなわ(bR72)6月号
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今月の人 |
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「ハッハッハッハッ」大きな声で笑う。小さい事は気にしない、ドンとかまえて行こう。そんな頼もしい感じのする方である。四月一日付で沖縄市老人クラブ連合会の新しい会長に山内さんが就任した。
物事が決まったら即行動と云う山内さん。行動派、実践派の新会長にこれからの抱負や市老人クラブ連合会にかける意気込みなどを聞いてみた。
市老連グランドゴルフ大会、ゲートボール、ボウリング大会、各サークルなどフットワークは軽い、市老連といってもまだまだ若い。足腰も軽い、色つやもよい、ジョギングを趣味とする方々も増えているという。
市老人クラブ連合会は現在、三十二単組、四千三百人の会員がいる。まさに大所帯である。
その組織のけん引車となる会長に就任したのが山内さん。「楽しくみんなが参加できる会、元気のある老人クラブを目指します」と常に前向き、ちゅうちょなどみじんも感じさせない。
山内さんが老人クラブに加入したのは石川市立城前小学校の校長を定年退職してから四年目、南桃原老人クラブへ入会。翌年には同クラブの会長の座へ。平成十三年に市老連の副会長に就任、会長の手助けをしてきた。「教職員時代は家と学校との往復で地域の行事も知らない、又近所との交流もなく仕事に追われている毎日でしたね、だから定年後は各行事や交流も楽しくやり、地域の手助けができたらと思って入ったんです」と老人クラブへの入会の動機を話す。
市老連の年間の行事は目まぐるしい、各講座やサークル活動、運動会、まつり、演芸大会、生きがい事業、ボランティアなどと目白押しにやって来る。しかし、会長は「行事が多いからいいんですよ、それだけ若さを保っていける、市老連が活発に動いているという証拠なんです」と目を細める。さらに英会話、パソコン講座、ゴルフ大会など、より強化を図る。市老連の今後の課題としては「休会している単組の復活。そして会員の増員ですね」と入会を呼びかけた。
これからの取り組みについては「市老連活動のピーアールと年齢別・体力別などニーズに合わせた多彩な活動の展開、そして若返りを図り、元気で社会に貢献できる活動をやっていきます」と意気込みを話した。
モットーは「温故知新」「過去の歴史をひも解きながら新しいものを取り入れる。時代の流れを見極めて前進したいですね」とつけ足す。好きな言葉は「安ずるより生むが易し」。
実践、行動が自分の持ち味と話す新会長はみんなの協力の下で、誰とでも気軽に楽しく話せる魅力ある老人クラブを目指し、さらに突き進む。
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戦後文化シアター 時代の交差点60th |
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1969年頃のセンター通り | | 今回は、戦後に生まれたまち・センター区(中央)についてのご紹介。
戦後間もない頃、軍用地であった八重島区の一部に、米国人と沖縄人とが自由に商取引ができる歓楽街(ビジネスセンター)設置の構想がなされた。当時の越来村が米軍に陳情して、一九五〇年に軍用地の一部が開放され、商業街としてのまちづくりがスタートした。
五一年六月に「センター通り会」が結成され、同年九月には八重島区から分離してセンター区が新設される。同区はAサイン業者を中心に栄えたが、復帰を迎え、基地に依存した経済に陰りが見えてくる。それに伴い、近代的な商業を目指して、「沖縄市一番街」や「中央パークアベニュー」などの地元民相手の繁華街に生まれ変わった。ちなみに、センター区とは行政区名であり、八二年の住居表示変更により、胡屋・上地・嘉間良・仲宗根の各一部が中央一〜四丁目となった。
戦後、沖縄市は基地の門前街として発展し、急激な都市化によって多くの新たな地名・まちが誕生した。それら地名の由来を調べてみるのも歴史を繙く手がかりになるのでは? |
写真についての情報をお待ちしております。 |
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連絡先:総務課・市史編集担当 電話:939−1212(内線2273) | | |
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