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◆ 広報おきなわ(bR72)6月号
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笑い供養 てるりんの歌謡漫談は永遠に ──── 多くのファンに親しまれた芸に、惜しみない拍手 ──── 市民小劇場あしびなーでコザ独立国てるりん大統領国民葬 |
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三月十日に死去した戦後沖縄大衆芸能のエンターテイナー照屋林助さんを追悼するイベント「コザ独立国てるりん大統領国民葬・笑い供養」が五月十二日夜、市民小劇場あしびなーで行われた。
生前、林助さんにお世話になった方々や林助芸を受け継いだ者、林助さんの芸に感銘した音楽家やお笑い芸人らが歌や芸を披露、満席の会場から笑いと拍手が沸き起こった。 |
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ありし日のてるりんこと照屋林助さん その芸はいつまでもみんなの心に残る | | | 照明を落としたステージがやがて明るくなり、国旗掲揚が始まる。ステージ中央の林助さんの写真の横に国旗が並ぶ。照屋政雄さんの音楽経の後、葬儀委員長で独立国総理大臣の和宇慶文夫さん(デザイナー)の献杯で国民葬がいよいよ始まった。
民謡歌手の照屋政雄さん、我如古より子さん、前川守賢さん、與那覇徹さんらが林助さんの作曲した歌を歌い上げ、泉&やよいの献漫才、ゆうりきやの献コントが続き、玉栄政昭さん、知名定男さん、西泊喜則さん、仲地のぶひでさんらが献唄を熱唱。さらに藤木勇人さん、我喜屋良光さんらがコントと歌を披露した。
林助さんは一九二九年大阪府で出生。終戦後沖縄の大衆芸能の草分けだった小那覇舞天さんから漫談などを学び、一九五六年に前川守康さんらと一緒に音楽や漫談を組み合わせた歌謡漫談スタイルの「ワタブーショー」を旗揚げ、パロディスタイルの芸風で一躍人気者となった。
テレビやラジオの出演のほか講演、司会、民謡の作詞、作曲など多彩なジャンルで活躍した。芸能の基盤をチャンプルー文化のメッカであるコザ・沖縄市におき、94年に沖縄市文化功労賞03年には沖縄の歌謡漫談の第一人者として文化庁地域文化功労者に選ばれた。
国民葬で仲宗根市長は「大衆芸能のため、その一生を捧げられた先生のご功績は、永遠に大衆芸能にたずさわる者の胸中に生き、チャンプルー文化を代表する『コザ文化』の育ての親として、市民の心に永遠に消えることなく生き続けるものと確信しています」と別れの言葉を述べた。 |
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ゆかりのある多くの芸人達が参加して行われた国民葬はにぎやかに行われた | | |
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立ち見がでるほど満席の会場、最後まで笑いの渦に包まれた | |
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楽しいコントや漫才、歌など笑いのオンパレードの国民葬になった | | | |
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