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◆ 広報おきなわ(No354) 12月号

 

特集・「百年の眠りから甦る
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表  紙

常に未来に眼を向けて創作活動を
<140>親川 正治さん(58)
これまで陶芸に関して数々の賞を受賞している親川さん。研ぎ澄まされ、熟練されたその技の域はとどまるところを知らない。

陶芸の師を持たず、三十年間独立独歩でこの道を歩きつづけてきた親川さんが先月、作陶三十周年記念「親川正治・琉球花三島展」を行った。

今月は技に磨きをかけ、さらに飛躍しつづける親川さんに、陶芸にかける思いや今後の活動状況きなどを聞いてみた。
沖縄市山里の親川正治陶芸工房「唐白窯」を訪ねた。

これまで陶芸に関して数々の賞を受賞している親川さんだが、今年はさらに飛躍した年でもあった。四月に沖縄県工芸士に認定されたのを機に、続いてハプスブルク官廷芸術会員(ウィーン)に推挙。さらに創造展(東京美術館)の審査員にも推挙。第五十六回創造展で「青山賞」を受賞するという快挙。

陶芸家・親川さんの力量は陶芸界でも高く評価されており、名実ともにその技は芸術・伝統の域に達しているのである。

長年の試行錯誤の中から独自の三島手の技法を習得し、自我の世界「銀河シリーズ」を持つ親川さんにあらためて、焼きものとの出会いなど当時を振り返ってもらった。

「端折って話すよ」と前置きして「高校卒業後、アメリカへ留学したんだが、その頃からアート的な仕事がしたいというのは常に心のかたすみにあった気はするね」それから帰国後、英語力を活かしライカム画廊やみえばし洋服店などに入社したが、やがて心のかたすみにあったものが動きだす。「何か手仕事がしたい」そう思ったとたん、じっとしていられない、体が動きだす。そこで具志川市にあった「上江洲焼」の陶芸家のもとで修業する。しかし、どの師匠の色にも染まりたくないとの信念から、独学での修業が始まる。失敗のくりかえしで、あっという間の十年が過ぎる。「貯まったのは失敗例を書いた大学ノート五冊だけで金もなく、女房の給料で食っていたんだよ。あれ以来、ずっと女房に食わせてもらっているんだね」と目を細める。面白いエピソードがある。ある日、東京美術館へ立ち寄った際、全国選出の陶器のレベルの高さにショックを受ける「どうしたら焼きものをやめられるか口実を考えたんだよ」と笑う。この人には努力、実力以外にツキもあるのだろうか、後に挑戦した東京都美術館(創造展)に初出展で初入選。つづいて、フランス国際美術展でも金賞を受賞。それから見え隠れしていた才能が一気に頭角を現す。

既述したように現在、創造展の審査員でもある親川さん。

最後に「僕は幸いにも周囲の暖かい理解で好き勝手にさせてもらった。その恩返しのつもりで学校現場や地域の陶芸講座などをやっている。今後は自分の持っている技法を継承し、作家としてさらに感性を高め、技に磨きをかけていきたいですね」と自分に論すかのように話した。
月日走い過じて

十二月に入りクリスマスシーズンを迎え、沖縄市の商店街は光の趣向を凝らしたイルミネーションで彩られる。国際色豊かな空港通りから一番街、パークアベニューにかけ点灯されるイルミネーションは、約二十万個。チャンプルー文化の街沖縄市の歳末は楽しさいっぱい、ファンタジックな光の世界に変容する。

「復帰」を二年後に控えた一九七〇年十二月二十日、コザの街が燃えた。深夜、米兵の交通事故をめぐり群衆約一万人が騒ぎだし、MPカーなど軍関係車両七十五台を焼き討ち、一部の群衆は軍施設に突入し焼き払う、いわゆる「コザ騒動」が勃発。度重なる米軍の人権軽視に憤怒していた沖縄住民の多くは、「起こるべくして起きた出来事」としてとらえた。当時コザ市長だった大山朝常さんは、「コザ騒動は、人間の心の火災だから水では消せない」と回顧した。

二十二日は、冬至寒で冷え込む頃。中国の影響で沖縄でも「冬至正月」といって冬至を祝い、田芋の茎などを入れたトゥンジージューシーを仏壇に供え家族の健康や繁栄を祈願する。

除夜の鐘 数えきれずに 年明ける
       (宮里中学校三年  大城美奈子)

沖縄でも大晦日に除夜の鐘を聞きながら年越しそばを食べるようになった。沖縄ブームで沖縄そばは県外でも大人気。本土の兄弟親戚に年越しそばとして送るケースも多くなっている。

暮れゆく二〇〇三年、「来年こそは平和で豊かな年に」と十二万八千市民は心から願う。

 月日走い過じて一夜 隔みたる
 年の中垣ん 今宵なたさ 
   ※年の中垣=大晦日   (護得久朝常)

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