<<  [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15]
[16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26]  >> 
◆ 広報おきなわ(No354) 12月号

 

特集・「百年の眠りから甦る
知花花織」

ここが聞きたい知花花織
[ 1 ][ 2 ][ 3 ][ 4 ]

子ども博物館

レイクウッド市訪問団歓迎会

今月の人・歳時記

イキイキ通信・むかしばなし

沖縄国際カーニバル

フォトニュース

話題・話題

クリーンデー in 沖縄市

市教育委員会表彰式典

室川子ども会

第6回車いす
ウォークラリー大会


チャンプルー探検隊

沖縄市スポーツデイ

沖縄市中学生海外派遣事業

交通安全教室開く 他

お知らせ
[ 1 ][ 2 ][ 3 ][ 4 ]

2003沖縄市民コンサート
暁でーびる民謡の花束


表  紙

特 集・百年の眠りから蘇る知花花織
島袋 領子さん
知花花織研究会会長
一枚の布の裏に潜む歴史や文化に魅せられ研修生としてスタート。その後、研究会を発足した。現在は研究を重ねながら市内の工芸作家との共作にも挑戦している。研究会の充実、発展のため頑張っている。
知花花織との出会いは、一九九九年十二月に市立郷土博物館主催で行われた公開講座でした。それは自分が生まれ育った地域の文化を再認識するきっかけとなるものでした。それまでは、どういった形でも織物の仕事に携わりたいというだけの意識でしたが、一枚の布の裏に潜む歴史や文化、そして、これからの将来を思うと、二度と途絶えさせてはいけないという、責任感のようなものが湧いてきたことを思い出します。その後二〇〇〇年八月からスタートした研修の中で、知花花織に携わる意義を本格的に学ぶようになりました。

二〇〇〇年十二月、研修生が中心となり研修終了後も、知花花織について研鑽を深める目的で「知花花織研究会」を発足しました。現在、活動は、知花花織の古い染織資料の研究、復元、そして、その資料を基に新しい会の新子製品の開発を手がけたり、OFT(沖縄市ファッションタウン推進協議会)の方々が制作するサマーウエアへの裂地提供、市内工芸作家との共作にも挑戦しているところです。

私たち研究会の活動は、「古い資料の研究、復元」と「新しい製品の開発」の二本柱になっています。しかし、技術的にはまだ未熟な私たちが、これらを同時に進めていくことは大変な事です。ですが、その好例として、大宜味村喜如嘉の「芭蕉布」が挙げられます。伝統技術の保存・伝承と、一方では現代生活のニーズにあった製品化に取組み、産業化としても成功しているもので、全国的にも知名度が高い産地として親しまれています。その要因として考えられるのは、地元で原材料の確保をし、地域の方が糸を紡ぎ、製品化するというストーリーがブランドとして認知されているのだと思います。このことは、方向性を模索している私たちにとって最も参考となるものだと考えています。小さな仕事の積み重ねにより、ようやく形として表れる織物の仕事は、根気が必要とされます。地域社会との関わりとともに、知花花織を沖縄市の誇れる文化として位置づけ、そして産業化する、この二点を現実のものにしていこうと、会員一人一人がねばり強く取り組んでいます。
 また昨年度より研修生には、研修八ヶ月間のあいだ奨励金を支給して頂いております。しかし、研修終了後は経済的な負担で、会員の中には夜間アルバイトをしながら活動を続けている者もおります。そのような状況が四年の月日が経つ者もいます。情熱をもって研修を受け、活動を続けてきましたが、収入を得る程の技術を身につける以前に、休止する者もでています。

いま、現実的な課題として、個々の技術力に委ねられていることは勿論ですが、この技術面での不安に加え経済的不安、それから来る精神的不安が加わり見通しがつかない状況です。これらの点を解決出来るよう、今後の方向性を模索し頑張っているところです。

日頃このような問題があがると、いつも「知花花織復元支援の会」を中心に、多くの方の応援と、励ましの言葉をいただいております。そのことは、常に私達のエネルギーの源となり、感謝しております。

織り手である私たちはもちろんのことですが、行政や市民の皆様のお力をお借りしながら、問題を解決していけば「夢」が実現すると信じています。
市工芸フェアで一般披露した知花花織、外国人など多くの市民が詰め掛け好評だった
知花花織作業者で技術を学んでいる研修生と研究生ら

〈経緯〉

本市では、約百年前に途絶えたとされる「知花花織」の復元・復興を通して、花織を核とした陶芸、小木工、竹細工、ガラス、紅型などの工芸産業の振興・育成を図るため、「工芸による街づくり事業」を平成十二年度から実施しております。

〈知花花織復元・復興の意義〉

人間の営みの基本ともいえる地域で育まれた手仕事の文化に多くの市民が関心を寄せることができる文化的な環境作りと密接に関連し、観光分野等との連携による相乗効果を図るための基盤づくりとして、地場産業の開発に向けた地域興しの視点から、約百年ぶりに蘇った知花花織の復元・復興を核とした事業を展開することにより、地域の自信や誇りに繋がるものと考えております。

〈これまでの取組み〉

平成十二年度に、工芸産業の振興のための指針となる「工芸による街づくり基本構想」を策定。また、伝統技術の養成、知花花織の復元を進め、伝統文化の復興と新たな産業の創出を図るため、知花花織研修生の募集を開始しております。

平成十三年度には、知花花織を本市の新たな特産品とするため、時代ニーズの把握をするため、マーケティング調査を実施し、知花花織製品の新商品開発支援を行っております。

また、知花花織の保存と伝承者の育成を図る目的に、県内各地に点在する知花花織の意匠設計に関わる関係資料等の整備を行っております。

平成十四年度には、知花花織の普及・伝承を目的に作業工程等の記録映画撮影を行っております。また、知花花織に関する情報発信、また、販路形成の支援に資するため、「第一回沖縄市工芸フェア」を開催し、大勢の方々にご来場頂き、間近で知花花織の良さを確かめて頂いております。

平成十五年度は、これまで、「工芸による街づくり基本構想」に基づき諸施策を展開しておりますが、生産体制の確立、製品開発、販路形成、拠点空間の整備など、知花花織の今後の振興を図るため「工芸による街づくり基本計画」を策定する準備を進めております。

〈今後の施策展開〉

今年度で、第四期知花花織研修生を迎え入れ、約八ヶ月間の研修をこれまで二十名余りが修了して、任意団体である知花花織研究会に入会しております。

知花花織研究会も今年で三年目を迎えており、後継者育成制度、技術指導体制の強化、知花花織ブランドの製品開発、各工房制導入、展示資料館整備など今後の目標づくりに取組むため様々な課題等を抱えており、先に述べた同基本計画に課題とそれに対する具体的な展開のための計画として盛り込んでいくことを考えております。

市民みんなの意識の持ち方が大切

ウスデークは戦後六年で復活したが、織物技術の継承や花織衣裳の着用は途絶えてしまった。確認できる知花花織の現物は、復帰前後にコレクターが収集した約五十点が確認され、市内ではわずか五点が確認されるのみとなっている。

戦後はその日の生活に追われて伝統文化に目を向けることが遅れてしまったことが原因なんだろうか。戦後五十年も経過した今、やっと伝統文化復活に取り組むゆとりができてきたのである。

地域に根付かせるには長いスパンが必要だし、原点を確認し、足元からしっかり固めていかなければいけないだろう。

基本的には、単純に知花花織を復元するだけでなく、地場産業へとつなげていかなければならないだろう。知花花織は機織りの技術者だけでは成り立たないだろう。織り機を専門に作る職人が必要だし、木工細工や竹細工、金具などの職人も必要になってくる。一口に知花花織を制作すると云っても、その背景には多くの人手がかかってくる。百年どころではなく、さらに長い時間をかけて伝わってきた織物文化のエッセンスを残しつつ、産業化できればまちおこしや地域全体の活性化も可能だろう。勿論、行政の後押し、いや行政が先頭に立って動かなければいけないだろう。地域文化の大切さを小中高生の頃から教え、それに親しむ文化をつくる。市民が本物の織物や染物に触れる機会を多くつくる。いかにしたら、まちの活性化につながるか。今後、その具体的な施策が求められるだろう。

個性豊かな地域の伝統文化は、次世代に継承していくべき市民共通の財産であり、宝物の一つでもある。一時的に途絶えた伝統文化があれば、あらゆる努力を尽くし、その復元を試み、新たな命を吹き込んで蘇生させる活動は私達市民の責任でもあるだろう。

<<  [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15]
[16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26]  >>