今月の人

地域の大切な「宝」を守り伝えていく

258 大宜見 良子(おおぎみ よしこ)さん (83)

 本市知花には300年以上前から伝わる地域の厄払いと五穀豊穣 (ごこくほうじょう)を祈り毎年旧暦の8月15日に踊る奉納舞踊「ウスデーク」がある。今月はその知花ウスデー ク保存会の会長である大宜見良子さんに、伝統を受け継ぐことの大切さや地域にかける思いなどを聞いた。

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 「ウスデーク」は旧暦の8月15日に、地域の厄払いと五穀豊穣を祈り行われる奉納舞踊で、池原や越来、知花で行われている。
 知花のウスデークはまず知花公民館の近くにある仲大屋(ナーカウフヤ)に保存されている獅子と一緒に公民館まで道ジュネーを行い、その後、広間で円陣を作り太鼓をたたいて五穀豊穣を願い歌い踊る。
 大宜見良子さんは、結婚後子ども8人を育てながら知花の婦人会活動に積極的に参加し、約60年に渡り知花地域の活動に関わっている。知花の伝統行事であるウスデークにも長年携わってきており、平成12年から「知花ウスデーク保存会」の会長を務めている。知花のウスデークは1番から12番まであり、それぞれ歌詞も踊りも違う。口頭でずっと伝えられてきたその歌詞を大宜見さんが聞き取り、平成14年に1冊の歌詞集としてまとめた。現在は大宜見さんのまとめた歌詞集をもとにみんな歌詞を覚え歌い踊る。ウスデークの歌詞は、例えば「嫌いな人を憎むな。心を広くもちなさい」など人生の教訓が書かれている教訓歌でとても奥が深い。
 ウスデークの主役である「鼓(つづみ)」をもって踊る「知花ウスデーク保存会」の踊り手は現在11人。鼓を打つことができるのは80歳を超えた方のみで、その他の踊り手は手踊りや扇を使い踊る。鼓を打つ踊り手は昨年国の伝統工芸品に指定された知花花織を着て踊る。それまでは紅型(びんがた)の衣装を着ていたが、平成15年から知花花織を着て踊るようになった。大宜見さんは「地元の花織を着て踊ることは誇らしいし、格別な思いだ」と語る。
 ウスデークの行われる前の一ヶ月間、踊り手は毎日何時間も練習を重ね、本番に備える。なくしてはならない大切な地域の宝を残し、伝えていくための努力を怠らない。大宜見さんの母親もウスデークに参加しており、地域がずっと守ってきたものをこれからも大切に保持し、後世につないでいく。
 大宜見さんには、いつも心がけていることがあり、それは「褒める、叱る、おだてる、詫びる」の4つだそうだ。これらをうまく使えば人間関係はスムーズにいくという。叱ってばかりもダメだし、おだててばかりもダメ。4つすべてを使うことが大切だと教えてくれた。
このモットーと素敵な笑顔で、今日もみんなをまとめ、地域活動に尽力する。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 沖縄戦のはじまりとともに、米軍によって設けられた民間人収容所「キャンプ・コザ」。現在の嘉間良一帯に存在したこの収容所には、戦争で親と離れ離れになった「戦争孤児」を集めた孤児院がありました。沖縄市戦後文化資料展示室「ヒストリートU」では、10月16日から12月8日までの日程で「戦世(イクサユー)の子どもたち〜コザ収容所の孤児院展」を開催しています。
 孤児院の運営や食糧、燃料の用意は米軍によって行われましたが、子どもたちの面倒を見たのは収容所にいた沖縄の人びとでした。当時を知る方々の話によると、戦場で保護された子どもたちが毎日のように連れてこられ、孤児院となった屋敷はすぐにいっぱいになったようです。収容所の女性たちは子どもたちの食事の用意をし、南部の戦闘を生き延びた女学生は子どもたちに「青空教室」で簡単な勉強を教えました。
 戦争が落ち着くにつれ、訪ねてきた家族や親戚との再会を果たした子どもたちが孤児院を去っていく一方、家族との再会を果たせぬまま亡くなる子も少なくなかったようです。
 今年も11月4日(月)午後1時30分より、倉敷にある沖縄市納骨堂にて慰霊祭を予定しております。子どもたちの過ごした孤児院の様子を通して、戦争とは何かをあらためて考える機会となればと思います。

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コザ収容所の子どもたち
1945年8月

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