今月の人

世界中を飛びまわる仕事がしたい

226. 幸喜 なみさん (15)

▲大好きなご先祖様の前で記念撮影。外国にいた時も沖縄の方向に向かい手を合わせていたという。

 大学で英語を専攻した人でも取ることが難しいと言われる「英語検定一級」の資格。面接試験では社会性の高い幅広い分野の話題で発話力や語彙の豊富さ、表現力が問われる。この難関に見事合格した中学三年生がいる。宮里中に通う幸喜なみさんだ。なみさんは外国生まれの外国育ち。若くして身につけた「国際人」としての視線を通して日頃感じていることや、将来の夢などについて聞いてみた。

 なみさんの父親はJICA(日本国際協力機構)の職員。父の仕事の関係でなみさんはケニアで生まれ、トルコ、ラオス、イスラエルと家族とともに世界各地に移り住んだ。各国のインターナショナルスクールや現地の学校に通ったなみさん、通常の生活で使用する言語は英語だったという。
 なみさんが沖縄に帰省したのは昨年十月。「父の仕事がいつどこに転勤になるのか分からないので、日本に転勤になった場合を考え、高校入学資格を取りにきました」と話す。家族と離れ、一人祖父母の家に身を寄せた。この間に何か資格を取ろうとチャレンジしたのが英検だった。過去問を繰り返し勉強し、一度のチャレンジで難関を突破した。面接でのスピーキングは、五つ出された設問の中から「宗教は世界を平和にできるか」というタイトルを選択した。「イスラエルに住んでいたので政治と宗教の問題は身近だった。これなら中学生の私でも日頃考えていることを伝えられると思い選びました」。イスラエルでは学生でも政治や宗教について活発な議論をするという。日本に来てみると学生たちがそういう会話をしないことに驚いた。「日本の学生はもっと世界の動きに目を向けた方がいいと感じた」と話し、更にこう続けた。「世界では目の色も肌の色も違う人々が、更に自分の個性を表現しようと様々なファッションを取り入れる。世界中が個人の個性を尊重する中、日本だけが個性を殺す教育をしていると感じる。これでは世界に通用する人は育たない。間違った方向に進んでいなければ生活指導は親の責任。先生方は生活指導にばかり力を割かず、教えることに集中してほしい」と学校指導のあり方に苦言を呈した。
 なみさんに、心がけていることがあるかと聞いてみると「人と接する時、文化や宗教のイメージだけで決めつけずに『その人』として見ることを心掛けています。」と答えが返ってきた。「以前は一か所に安住したいと考えたこともありましたが、今は父親のように世界中を飛びまわる仕事がしたいと思っています。そのためにも今自分が出来ることをしっかりとやりたいです。」と引き締まった表情で話した。

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▼戦後文化シアター 今月のヒストリート


▲照屋寛則氏撮影

ヒストリートU/929-2922
市史編集担当/929-4128

 暗闇で炎を吹く車や焼け焦げた車の写真を目にして、初めて「コザ暴動(騒動)」を知り驚く人、懐かしそうに当時の様子を語り出す人…。
 昨年十二月からヒストリートUで開催している企画展「あれから四〇年 コザ一二・二〇」に、一五〇〇名余の方が訪れました。好評につき展示期間を今月まで延長します。
 これまで「コザ暴動」について聞き取り調査をした中で、強く感じたのは「百人百様」の「原体験」があることでした。
 ある人の「原体験」は沖縄戦で亡くなり会ったこともない姉の存在、つまり戦後ずっと娘(姉)を失った苦しみを抱き続けている母親の悲しい姿。ある人は中学生時代に窃盗を疑われ、有無を言わさず米軍に連行された屈辱的体験。また、ある人は宮森ジェット機墜落事故の時に「自分(パイロット)は助かり子ども達は死なせて。こいつらは敵だ」という激しい怒り。
 ひとりひとりの中に、それぞれに違う米軍に対する反感の原点があって、それが、あの夜、偶然、あの場所でスパークしました。車をひっくり返すという同じ行動をとっていても、心の中の原動力はそれぞれ違っていたのです
 コザ「暴動」とはなんだったのか?
 現場写真・当時の証言・新聞記事などを通して一緒に考えてみませんか。お待ちしています。

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