今月の人

新しい表現の伝統芸能ショーを創作

222. 新垣 健さん(35)

 少女とキジムナーが時空を超えて沖縄芸能の歴史をたどる舞台「綾庭の宴」。市が誇る独自のエンターテインメントが完成したと高い評価を受けている。今月は「綾庭の宴」の作者・新垣健さんを紹介する。ある時は食堂店主、ある時は演出家、そしてまたある時はミュージシャンと様々な顔を持つ三十五歳。新垣さんの柔軟な生き方やこだわり、舞台や伝統芸能への思いなどについて聞いてみた。

 多くの県内ミュージシャンのライブをサポートするパーカッショニストとして活躍する新垣さんに、「舞台を作らないか」と打診があったのが昨年のこと。平成四年から音楽家として活動し、イベントの舞台演出も手掛け、伝統芸能にも新しい音楽にも精通している新垣さん、多くのミュージシャンらと様々な舞台を踏んできた経験から「今いる人材を活かしつつ新たな人材も育てられ、観光にもつながるような伝統芸能ショーを創ろう」と構想を練りあげて創ったのが「綾庭の宴」だった。
 「綾庭の宴」は、少女とキジムナーが時空を旅しながら沖縄芸能の歴史をたどるという設定の舞台。『綾庭』とは越来城にあった人々が集う庭の名前で、現代の綾庭は胡屋にあると見立て、ミュージックタウンのがじゅまるを舞台に繰り広げられるこのショーのタイトルを『綾庭の宴』にしたという。新垣さんは、「伝統芸能を既存の形で紹介しようとしたら『客離れ』という現実があった。伝統継承者を守らないと伝統は維持できない。ならばどうするか考えた時、『ありがちな創作』ではなく『損なわない創作』で伝統芸能の素晴らしさを紹介しようと出来たのがこの形だった。芸能界の横の枠を超え、音楽や舞踊、コメディなど、様々なジャンルの芸能を同じ舞台にあげることで観客が自然に色々な芸能に興味を持てるようにし、舞台の芯となる部分を実力者でかためることで、経験の少ない素人を舞台に上げてもぶれない表現ができるように創り上げた」と、舞台へ込めた思いを話してくれた。
 「僕のテーマは『豊か』という言葉。」と新垣さん。「何もなく苦しい状況でも心だけでも豊かになりたいとエンターテインメントはある。だから僕は音楽や舞台をやる。みんなに美味しいものを食べてもらい豊かな気持ちになってほしい。だから僕はそば屋もやる。僕は『豊かさ』にこだわっている。ちなみに僕のそば屋の名前はずばり、『ゆたか食堂』です。」と目を細めた。
 音楽や舞台、食べ物と、人々に豊かさを提供する新垣さん。これからもこだわりの表現で、まちに「豊かな」彩りを加えてくれそうだ。

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▼戦後文化シアター 今月のヒストリート


▲嘉手納基地包囲抗議(1990年)
  沖縄市知花側に集まった人・ひと

市史編集担当/TEL:929-4128
ヒストリート、ヒストリート2/TEL:929-2922

 人・ひと・ヒト。一九八七年六月二一日、土砂降りの中、二万五千人の人が集まった。嘉手納基地(周り一七・四q)を人間の輪で囲んだカデナ基地包囲大行動である。米軍基地の完全包囲は沖縄初、世界初であったという。
 あれから三年、一九九〇年八月五日にも嘉手納基地包囲行動が実施された。今回はその写真を紹介する。二度目となった基地包囲は、"家族そろってカデナへ行こう"を合い言葉に、県内外・国外から二万六千人が集結し、人間の輪が基地を完全に包囲した。一斉につないだ手が一つとなり、世界平和の実現と沖縄の実情を訴えた。空には、五百羽の鳩と二万個の風船が舞っていた。そして、包囲終了後の金網(フェンス)には、平和の願いの証となった赤・黄・緑のネッカチーフがしっかりと結ばれていた。
 これまで実施されたカデナ包囲行動は、二〇〇〇年と〇七年を合わせ都合四回、延べ約九万四千人に上った。願いは一つだった。
 撮影者の石川文洋氏は、一九六九年から沖縄を撮影するようになった。沖縄の現実と戦争の実態を見つめた写真を今も撮り続けている。その思いの一枚である。ちなみに、一九九〇年は、沖水が夏の甲子園で県初の準優勝を果たし、沖縄市では三代目の市長が誕生した。確実に歴史の流れは歩み続けている。

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