|
今月の人 |
 |
強い責任感、厚い人望で、組織をより強化 |
|
<148>登川 重男さん(67) | |
 |
このほど市社会福祉協議会の理事会が行われ、登川重男さんが新会長に就任した。
市社会福祉協議会(社協)は市内の社会福祉事業や社会福祉に関する活動の活性化など、地域福祉の推進を図ることを目的としている。
福祉事業は、年々多様化しており、当団体の果たす役割も大きい。今月は登川さんに新会長としての抱負や社協にかける意気込みを聞いてみた
市社協の歴史は昭和二十七年に越来村社協、美里村社協が任意団体として発足、昭和四十六年にコザ市社協が法人格を取得する。そして、昭和四十九年にコザ市と美里村の合併により市社会福祉協議会が誕生するのである。故大山朝常氏を初代会長に組織化された同団体の十六代目会長として四月に就任したのが登川さんである。
市社会福祉センター、社協事務所に登川さんを訪ねた。日焼けした顔に背筋の伸びた、しゃきっとした姿勢でいすに腰掛けていた、「座わりごこちはどうですか」「いやぁ、馴れないですね、それより忙しくて座るヒマが無いんですよ」とニガ笑い。小地域ネットワーク事業や在宅介護支援センター運営など、社協の事業も多様化している。仕事について「私は十年前に美里自治会長をやっており、その間に社協の評議員、理事を務めた。また、さまざまなボランティア活動にもかかわり、福祉には常日頃から関心はあった。だから社協の事業も理解しているつもりだが、なんせ社会が目まぐるしく変化しているので、社会福祉についても一から勉強しないといけないと思っています」とゆっくりとした口調で要点だけを話したが実直のある言葉である。 真面目で温厚、堅実というイメージを抱いてしまうが、眼鏡の奥の目が時々、鋭く光る。胸に秘めた闘志がうごめいた瞬間なんだろうか。新会長としての抱負を聞いてみた。「歴代の会長を中心として、これまで関係者の皆さんが積み重ねてきた実績をしっかり受けとめ更なる組織の充実と発展を目指したい。そのひとつとしては、社協の自主財源である「赤い羽根共同募金」や一般・賛助・特別会費の確保に全面的に努力し、諸事業や広報活動、情報提供などの強化を図っていきたい」と頭の中にはすでに構想が。
多忙な日々が続くが、その忙しさをぬっての趣味は「ゴルフ、釣り、乗馬、家庭園芸、とにかく体を動かしているのが好きなんです。いっぱい汗をかいて、ゆっくり風呂に入る。健康にもいいですよ」。性格は「思いたったらすぐ手掛けないと気がすまないたちなんです」と云い、続けて「年々、涙もろくなってくるね」と目を細めた。モットーは「有言実行」最後に「義務、責任、約束を果たし、すべての物事を前進させるのが私の信条」と力強く話した。その信条を胸に社協の会長として力いっぱい突き進む。 |
 |
 |
戦後文化シアター ワーナーさんの写真館 |
 |
 |
 |
古謝市にて必需品の配給 | | 終戦直後、収容所生活を送る人々は、食糧や衣料品など、生活必需品(ひつじゅひん)の全てを米軍から配給されていた。しかし、生きるのに必要最小限の物資しか与えられず、人々は常に空腹感に悩まされていたようである。
配給は、住民の生活を直接左右する制度であった。それだけに「配給停止」など、軍布告や指令を遵守(じゅんしゅ)させるための手段として用いられたり、田井等では食糧増を求める住民の要求に対して、食糧係のショウラウンド中尉がピストルをかざして占領者(せんりょうしゃ)意識を丸出しに住民を威嚇(いかく)した事件など、配給に関する様々なエピソードも生まれている。
今月紹介する写真は、配給を受け取る人々の様子である。ワーナー氏はコザで主に配給を担当しており、軍需(ぐんじゅ)物資の余分や廃品を集めて人々に提供したりするなど、住民救助に尽力し、戦後の復興に大きく貢献した。 |
写真について情報をお持ちの方はご一報下さい! |
|
連絡先:総務課・市史編集担当 電 話:939-1212(内線2273) | | |