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◆ 広報おきなわ(No352) 2003年10月号

特集・平和について考え行動しよう 被爆地ナガサキからの声を届ける 今月の人・歳時記
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フォトニュース 話題・話題 平成15年度市敬老会
海軍駐機場移転説明会が開かれる お知らせ[ 1 ][ 2 ][ 3 ][ 4 ] 第18回コザ名物毛遊びコンサート
表 紙
特集・平和について考え、行動しよう
コザ中学校
三年生
野原 朝宇
沖縄市の中学校などに植えられた、被爆クスノキ2世。その親にあたるクスノキを一目見ようと、山王神社に向かった。そこには持ち前の生命力でよみがえった大きな姿があり、それは長崎の人々に生きる希望を与えた。生命力に驚き、そして生きることの素晴らしさに感動した。長崎を最後の被爆地としてこの世から原爆が無くなることを祈ると同時に、この世界が平和になるよう強く願った。
コザ中学校
三年生
砂川 雅枝
被爆者の方から体験講話を聞いた。講話はとてもリアルで、私達にとっては信じられない話ばかりだった。私達には想像できないような地獄が、この長崎にあったのだと思うと本当に恐い。原爆の恐ろしさを世界中の人達に知って欲しいと感じた。少しでも多くの人が、平和について真剣に考え、平和を築く努力をしてくれればと思う。私自身も、みんなと手をつなぎ平和を築いていかなければ、という強い責任を感じた。

沖縄東中学校
二年生
玉城 綾乃
城山小学校にある、少年平和像と嘉代子像に平和のメッセージと千羽鶴、色紙を捧げた。また、嘉代子楼は原爆で死んだ我が子を思い、母親が城山小学校へ寄贈した桜。嘉代子楼は大きく育ち、今では立派な花を咲かせるという。無言の桜が静かに、力強く平和を訴えているかのように見えた。五十八年前、一発の原子爆弾の投下により、多くの尊い命が犠牲になった。平和を願わずにはいられなかった。
沖縄東中学校
二年生
真境名 拓海
原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で聞いた、被爆体験者の平和への訴え。悲しく、恐ろしい内容を聞いていくうちに、なぜ関係のない住民が巻き込まれ、たくさんの尊い命を落とさなければならなかったのかという疑問が生まれた。また、原爆記念資料館を訪ね、改めて原爆の悲惨さや、恐ろしさ、むごたらしさを感じた。ひとりでも多くの人に原爆の恐ろしさ、戦争の恐ろしさを伝えていきたい。

安慶田中学校
三年生
阿野 優太
原爆記念資料館を見学。そこで、今までにない「原爆」というものの恐ろしさを知り、平和の大切さや尊さ、そして平和大使としての責任の重大さを実感した。平和交流会では、日本中、世界中の人たちが平和について学び、様々なことに取り組んでいることを知り、大きな感動を覚えた。いろいろな人と出会い、多くのことを学んだ。それらをより多くの人たちに伝え、みんなが平和を築いていく世界にしていきたい。
安慶田中学校
三年生
湧川 美香
長崎で感じた戦争の悲惨さ、すべての命の尊さ、平和の大切さ、戦争の後に残る悲しみ、苦しみ、心や身体に残る傷の大きさ、そして被爆者の方々が私達に託した思いのすべてを受け止めたい。平和大使に与えられた役目は、もう半分以上終わろうとしているが、これからはひとりでも多くの人に私達の学んだ平和の大切さを伝え、そのことで未来が平和になるよう、真剣に取り組んでいきたい。

美里中学校
二年生
松田 夢
長崎に派遣されるまで、沖縄で繰り広げられた地上戦が、一番ひどい戦争だと決めつけていたような気がする。被爆体験者である崎田昭夫さんから、原子爆弾の威力、崎田さんが目にした光景などを聞いているだけで、ひどく悲しくなった。沖縄、広島そして長崎も、同じ戦争。今回の派遣で戦争の恐ろしさ、平和と命の尊さを学ぶことができたことは貴重な経験。この経験をいかに広く伝えるかが、今後の課題。
美里中学校
二年生
与古田 宇顕
被爆体験者の崎田昭夫さんの話を聞いた。その話は、とても信じがたい程恐ろしく、思わず耳をおおってしまいたくなるものだったが、原爆の恐ろしさを改めて知り、平和を願う気持ちがよりいっそう強くなった。そして私同様、平和を願う人々が世界中に数多く存在していることが分かった。これから先、平和大使の経験を活かして一人でも多くの人々に平和の構築を呼びかけていきたい。

山内中学校
二年生
仲真 樹
知らなかったばかりにショックだったことが、原爆資料館を訪れたときに起こった。核兵器開発のために、全世界でこれまで繰り返された核実験の回数が二千回を超えることを知ったからだ。最近、核実験の回数が減少してきているが昔はそうではなく、その為に島から追放された人たち、死の灰に冒され死んでいった人たち、胸が痛くなった。平和の大切さ、命の尊さを学ぶことができた。
山内中学校
二年生
稲嶺 樹
原爆資料館には、原爆による被害を受けた人々の写真が展示されてあり、思わず目をつむりたくなるような写真をいくつも見た。なぜ、何の罪もない人々がこんな目に遭わなくてはならないのかと、胸が押しつぶされる思いだった。被爆者の崎田昭夫さんは、前身大やけどを負った。崎田さんは「平和の原点は、人の痛みを分かることだ。」と話した。このことを伝えることが、使命であると感じた。

宮里中学校
二年生
石川 彩
被爆戦跡を見学していくうちに、原子爆弾の熱線や爆風、目に見えない放射線の威力のすごさが伝わってきた。こんなにもたくさんの被害が出ているのに、未だにこの爆弾が世界中に2万から3万個も残っているなんて、考えられない。また、城山小学校へ行き、メッセージを読んだ。少年平和の像に向かい、平和を実現することを誓った。長崎へ渡る前よりも、平和を実現させようという思いが、強くなった。
宮里中学校
二年生
阿嘉 倫大
崎田昭夫さんの被爆体験者講話を聞いて、原爆の恐ろしさ、その威力の強さ、平和の大切さをとても身近に感じることができた。そして原爆資料館へ行き、原爆の熱線や爆風、放射能の威力を知り、原爆に対する恐怖がさらに増した。今回の派遣で、「戦争とは」、「原爆とは」、「平和とは」と、とても身近な問題として、深く考えさせられた。平和交流を通し学んだ経験を活かし、平和を足下から築いていきたい。

美東中学校
二年生
儀間 太一
崎田昭夫さんの被爆体験講話を聞いた。崎田さんの話は、写真などで原爆の恐ろしさを学ぶよりも、リアルでとても恐ろしいことが分かった。また、被爆遺跡巡りでは、いろいろな所に折り鶴を捧げ、メッセージを読み上げた。亡くなった人達が喜んでくれれば、と思った。この平和学習は大変だったが、それだけに心の中に深く残った。平和という二文字をいろいろな人たちに伝えていきたい。
美東中学校
二年生
中川 麻衣
初めは、軽い気持ちで引き受けた平和大使という大きな役目。しかし、悲惨で残酷な戦争を学び、理解していくうちに戦争の悲惨さ、原爆の恐ろしさに心が沈み、途中で辞めたくなることもあった。しかし家族や友達、多くの皆さんに支えられ、全うすることができた。いつの日か、人々の笑顔の絶えない世界になるよう、学んだことを多くの人たちに少しずつでも、伝えていきたい。

越来中学校
二年生
城間 未菜美
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加しました。そこには、被爆者やその遺族の方など、たくさんの人が来ていました。式典で、私が一番印象に残っているのは、言葉の話せない人が、手話で一生懸命になって被爆体験を語っていた姿です。私は平和大使になって、色々な経験ができて良かったと思います。これからも、この経験を活かして頑張っていきたいと思います。
越来中学校
二年生
仲西 勇輝
原爆のせいで、いったいどれだけの人が苦しんだのだろうか。その傷跡が心や身体に残っている人々が、どれだけいるだろうか。恐ろしい原爆の被害者がいると思うだけで、とても悔しい気持ちになった。長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列し、五十八回鳴った平和の鐘の一つひとつが、式典に参列した人々の胸にやさしく、そして力強く平和の音を響かせたことかと思う。被爆地長崎の思いを、伝えていきたい。

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