今月の人

世界で活躍するトップライダーへ

275/仲村 優佑(ゆうすけ)さん(21)

 三重県鈴鹿サーキットで昨年11月に開催されたバイクレースの全国大会で接戦を制し仲村優佑さんが優勝した。仲村さんはこの優勝を機にアジア大会への参加が決まっている。今月は仲村さんに、バイクレースの魅力や今後の目標について話を聞いた。

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 仲村さんがバイクに興味を持ったきっかけは、父親が県内のバイクレースに出場しており、幼い頃からその姿を見ていたからで、自分もバイクに乗って走ってみたいと思ったからだ。6歳でモトクロスレース(オフロードのコースを走るバイクレース)を始め、11歳よりミニバイクに転向する。ミニバイクレースでは12歳の時に県内で開催されたレースで初優勝した。そして、15歳の時に県外の大会に初挑戦する。だが、結果は18台中10位という成績で悔しい思いをしたそうだ。その悔しさをバネに挑戦を続け着々と順位を上げ、2年前には全国2位にまで駆け上がった。
 昨年は、ミニバイクから250ccのバイクにステップアップし、中国エリアのロードレースで優勝を重ねた。その結果、昨年11月に三重県鈴鹿サーキットで開催された全国大会『DUNLOP杯 グランドチャンピオンシップ2014』への出場も果たした。この大会は各エリアの上位ライダーのみが出場することができるもので、アジア・ドリーム・カップ出場の選考も兼ねている。出場する40人のライダー全員が、同じコンディションのマシンで競うため、純粋な実力のみで勝負が決まるレースだ。
 レースは、ゴール直前まで八人のライダーによる激しいトップ争いとなったが、仲村さんが制して優勝し、見事、日本一の栄冠に輝いた。この優勝により仲村さんは、日本代表としてアジア・ドリーム・カップに1年間出場する。
 仲村さんは「昨年から努力を重ねてきたので、今回のDUNLOP杯の優勝は、その成果だと思っている。今年はアジアのトップに立てるよう頑張りたい。アジアでトップに立ち、来年にはイタリア、その次の年には世界のレースで走れるようになりたい」と語った。
 バイクレースは一見すると、危険なスポーツに思えるが適切な装備で臨めば、大きなケガもなく安全なモータースポーツだという。そんなバイクの魅力を仲村さんに聞くと「人より前に出て走れることがとても気持ちがよく、また、バイクのセッティング(調整)がうまくいき、自分の思った通りの走りができた時は達成感があり楽しい」という答えが返ってきた。また「レース環境にあまり恵まれていない沖縄出身の自分が、アジアのトップ、そして世界のトップライダーになることで後輩達を刺激し、沖縄の競技人口が増えてくれればうれしい。また、多くの人にレースの素晴らしさを伝えたい」と話した。
 仲村さんの世界を目指した挑戦は始まったばかり。これからも夢に向かって駆け上がっていく。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 先月に引き続き「Aサイン」に関連したモノ資料を紹介します。
 本土復帰前のコザの歓楽街は、米兵達で大いに賑わい、多くのAサインの店が立ち並んでいました。「Aサイン」とは米軍人・軍属が立ち寄っても良いという許可証の事で、米兵相手のバーやキャバレー、ホテルなどには必ずそれが掲げられていました。米軍の許可制度は米兵相手に商売をする店に限らず、ベストソーダやミッションコーラなどの島生産の清涼飲料やお酒の販売にも及びました。左の写真は同じく米軍の許可を得て基地内外で販売されていたAサイン入りの焼酎「白鷺(しらさぎ)」です。
 1958年に白鷺の販売が開始されると、60年代前半には米兵達に絶大な人気を誇り、酒類の中で最も多く飲まれる銘柄となりました。味はジンやウォッカに近く、アルコール度数30%で匂いも強いことから、通称「爆弾」と呼ばれ、コーラやソーダで割って飲むのが一般的だったようです。
 Aサイン入りの焼酎「白鷺」の他にも、戦後の沖縄市の歴史を語るモノ資料は、ヒストリート本館とヒストリートUに展示しています。ぜひ、みなさま足をお運び下さい。

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  • ■市史編集担当/TEL:929-4128(直通)
  • ■ヒストリート、ヒストリートU/TEL:929-2922

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