●被爆地ナガサキ からの声を届ける●

平和を願う心、命の大切さを
世界中に伝えよう

平和大使が戦争の恐ろしさ、平和の大切さ、命の尊さを訴える

 僕たち平和大使は平和にするにはどうすればいいか?平和とは何か?について考えてきました。本土の人達との交流でみんな素晴らしい意見を持っているし、平和への思いはみんな変わらないんだなと思いました。僕は滅多に経験できない事が出来てとてもうれしかったし、長崎で学んだ事を周りにしっかり伝えていきたいです。六十四年前の事は決して絶対に。そして長崎を最後の被爆地と言えるように。 根路銘 謙哉
沖縄東中学校
二年生
根路銘 謙哉

比嘉 紀咲
沖縄東中学校
二年生
比嘉 紀咲
 長崎原爆資料館を見学しました。その中で私の印象に一番残っているのは、その当時の原爆で大けがを負った方の写真です。どうしてこんなにたくさんの方が苦しまなければならないのでしょうか。戦争をして得られるものはいったい何でしょうか。私には一生をかけても理解できないと思うし、理解できるような人間にもなりたくありません。この研修で学んだことを大勢の方に伝え、世界を平和にできるよう、行動していきたいと思います。

 被爆体験者講話を聞きました。足の踏み場のないほど地面には人の死体が転がっていたと聞いてとても恐ろしく感じました。平和について、原爆について、多くのことを学ぶことができました。こんな貴重な経験ができてとてもよかったと思います。とにかく驚きの連続でした。このことを絶対に忘れず、平和大使を代表して皆に戦争の恐ろしさ、愚かさを一人でも多くの人に伝えていければ良いなと思います。 兼島 大悟
美里中学校
二年生
兼島 大悟

玉那覇 燈子
美里中学校
二年生
玉那覇 燈子
 地元長崎の人や他の県から来た人達と出会い、平和についていっしょに考え、話し合い、とても心に残った長崎でした。そしてこの長崎で出会った人達とは、戦争を嫌い、平和を願う思いでつながっているのです。そういう人達がいて、とても心強く感じました。この四日間で、私は平和大使になってよかったと心から思いました。そして、これからも平和について真剣に考えて、取り組んでいきたいと思います。

 長崎市戦跡めぐりと原爆犠牲者慰霊万灯流しに参加しました。戦跡めぐりでは、平和祈念像や山里小学校で、あの子らの碑・防空壕跡などを見ました。六十四年前の八月九日、原爆が投下された午前十一時二分に参列者全員で恒久平和と冥福を祈り、一分間の黙祷をした時は、参列者全員の心が一つになった感じがしました。平和が一番だと、私たち、子や孫の時代これから先もずっと平和が続きますように。 座間味 愛姫
宮里中学校
三年生
座間味 愛姫

仲栄真 和輝
宮里中学校
三年生
仲栄真 和輝
 恵の丘長崎原爆ホームに行きました。そこでは、被爆体験者講話を聞き、原爆の恐ろしさが生々しく伝わってきて二度と世界中で原爆が落とされるような事があってはならないと思いました。また原爆ホームの人達はとても明るく楽しい人たちで、僕はさらに平和な世界にしよう。そしたら皆が明るく楽しい生活ができるし、これから自分たちが世界に原爆はもちろん戦争のない世界をつくらなければいけないと思いました。

 研修を終えて、私が今まで知っている事は、ごく一部でしかないことを知ることが出来ました。原爆を受けた方は、六十年以上もすぎているのに昨日の事のように鮮明に憶えていて、私達に細かく教えてくれました。でも被爆者や戦争体験者の高齢化が進んでいます。このままでは、だれも戦争の事を伝える人がいなくなってしまいます。これから戦争がおこらないためにも私達が学び、それを自分の知識にし、たくさんの人に伝えていくことが大切です。 名城 麗
安慶田中学校
三年生
名城 麗

東恩納 拓人
安慶田中学校
三年生
東恩納 拓人
 原爆が落ちた日である八月九日、平和公園にて長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列しました。式典では、田上長崎市長が原爆を無くそう、核兵器の無い世界をと熱く語っていました。午前十一時二分には皆で黙とうをささげ、僕達も長崎が最後の被爆地であり続けることを祈りました。黙とうの後、鳩が空に舞いあがった光景はとても美しく、あの瞬間を僕は一生忘れずこれからも人々に平和を伝えていきたいと思いました。

 恵の丘長崎原爆ホームを訪問しました。そこでは、被爆体験者の話を聞いた後、僕達平和大使が「こどものまち宣言」を合唱しました。その後に、ホームを代表しての挨拶を聞いて、今もまだ苦しんでいる人がいるという事、そして平和を訴え続けている人がいるという事を知りました。僕は「ホームにいるおじいちゃん、おばあちゃんのためにも自分達が頑張って平和を築いていかなければいけないな」と思いました。 朝 勇太
山内中学校
三年生
朝 勇太

久高 由利愛
山内中学校
三年生
久高 由利愛
 原爆落下中心地の碑・片足足居・山王神社の被爆クスノキ・長崎原爆資料館を回りました。どの被爆地もとても痛々しい光景でした。私はこの研修を通して、今がどれだけ平和で幸せな時代であるかを実感しました。これからも、この平和な時代が続くように、私達平和大使が、戦争の恐ろしさを伝えていかなければならないと思います。そして、研修で出会えた仲間と共に、これからもがんばっていこうと思います。

 被爆体験者講話を聞きました。講師の山脇佳朗さんは被爆当時十一歳で、爆心地から二・二キロメートルの自宅で被爆されたそうです。翌日になっても帰ってこない父を迎えに工場へ行く途中、道や川などに死体がごろごろとあって、たえきれなく途中走ったそうです。私は山脇さんの話を聞いて、教科書では知ることのできない真実であり戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさ、核の無い平和な世界をつくろうと改めて感じました。 岸本 舞華
越来中学校
一年生
岸本 舞華

具志堅 一真
越来中学校
一年生
具志堅 一真
 長崎での研修で平和学習に興味を持ちました。原子爆弾のしくみや恐ろしさを実感できました。今、僕たちにできる事は、事実をありのままに伝えていくことです。今でも戦争をしている国や、核をもっている国があるということは、とても悲しく思います。世界中の皆が仲良く、助け合っていける平和な世界ができるといいと思います。僕たちが長崎で体験してきた事を、周りのみんなに伝えていきたいと思いました。

 原爆資料館には原爆投下時刻の十一時二分で止まっている時計や、真っ黒に焦げてしまった弁当箱などが展示されていました。中でも一番衝撃を受けたのが人間の骨にガラス瓶が溶けてくっついているものでした。その手は今に何かを訴えているかのように見えました。原爆も戦争も遠い過去の話ではありません。原爆の後遺症で六十四年経った今でも苦しんでいる人がいます。その為にも長崎で学んだことを伝えていきたいと思います。 金城 圭介
コザ中学校
三年生
金城 圭介

山城 結
コザ中学校
三年生
山城 結
 平和公園にある「平和の泉」の正面に書かれている「のどが渇いてたまりませんでした。水には油のようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくてとうとう油の浮いたままの水を飲みました」という戦時中のある少女の日記の一部分が書かれた石碑です。私達があたりまえの様に飲んでいる水さえも飲めない位苦しい思いをした人達。少しでも多くの人々に伝え、皆の手で平和をつくっていくことだと思いました。

 私は、この平和大使の研修を通して、平和に対する気持ちがとても強くなりました。そして、この原爆の怖さなどを知って「なんで他国は簡単に核兵器を作るの?」と思いました。長崎や広島にあんなにも犠牲者を出しているのを知っているのに、なぜ、核兵器を作るのかな。と思います。私は、早くこの世界から核兵器が一つもなくて、戦争のない幸せな世の中になってほしいです。これからも、ずっと平和でありますように。 新垣 明日香
美東中学校
二年生
新垣 明日香

金城 皓己
美東中学校
二年生
金城 皓己
 八月八日から十一日までの四日間、僕達は平和大使として長崎へ派遣されました。今回、被爆体験者の人達からたくさんの話を聞かせていただきました。被爆して後遺症に苦しんでいる人達のことを思うと、戦争は六十四年前に終わっているけれども、実際には戦争で苦しんでいる人たちがたくさんいることを知りました。平和大使として学んできたことを後世に伝えていくことが平和につながると思います。

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