今月の人

地域と青年団が力を合わせエイサー文化を継承発展させたい

207.新里治利(29)

新里治利さん・画像

 身長186cm、がっしりとした体に誠実な人柄がにじみ出たまっすぐなまなざし。見た目通りの頼りがいのある男、それが今回紹介する沖縄市青年団協議会新会長・新里治利さんだ。行動力があり郷土愛に溢れる青年達を、エイサーを通して地域と結びつけ、次代の地域と文化を担うリーダーとして育成する市青協の様々な取り組みも併せて紹介する。

 新里さんがエイサーに出会ったのは宮里中学校三年生の時。文化祭でエイサーに取り組むことになり地域の青年達に指導を受けたのがきっかけ。初めて自分で叩いた大太鼓の、腹の底まで響くその音に魂を揺さぶられ、「エイサーをもっと追求したい、エイサーは一生つきあっていくものだ!」と直感したという。これを機にすぐさま地元の東青年会に加入。以後青年会活動に情熱を注ぎ続け、今年四月に開かれた沖縄市青年団協議会の総会で会長に就任した。
 「青年たちは『とにかくエイサーがやりたい』という思いで入ってくる。まずはその気持ちを大切にしている。青年会はいわば人間育成の場。エイサーを通し地域とのつながりの大切さや地域文化、礼儀なども教えている。青年会に惹かれる人間は行動力があり志が高く郷土愛に溢れる人ばかり。彼らは次代の地域と文化の担い手としての資質を備えており、人として今まさに成長の課程にある。青年会は怖い団体というイメージを払拭してもっと地域に愛される団体にしたい」と話す。
 市青協の活動はエイサーのみならず多岐にわたる。地域でのボランティア活動、老人会や子供会とのふれあい、エイサーまつりや国際カーニバルでは多くの青年たちが裏方としてまつりを支える。また子どもたちにもエイサー文化に触れてほしいと小学校での出前講座も行うなど様々な活動に力を入れている。
 「沖縄市は『エイサーのまち宣言』をしており、エイサーは市にとっても大切な財産。しかし沖縄市の青年会だからと言ってすべての団体の実力が高いわけではない。伝統の型の継承、演技の質の向上、練習場の確保など青年達だけで取り組むには難しい課題もある。地域や行政も一緒になりエイサー文化を継承・発展させる環境作りに取り組んでほしい」と要望した。
 夢は市内三十六自治体全てに青年会を作ること、人を引きつける小気味の良いしゃべりと抜群の行動力を武器に、市内の青年八百人の先頭に立ち、怒濤のエイサーシーズンを全力で駆け抜ける覚悟だ。

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▼戦後文化シアター 今月のヒストリート

ヤクルト瓶

市史編集担当/
TEL:939-1212(内線2273)
ヒストリート/
TEL:929-2922

※来月(九月)七日、石川文洋氏の写真と村瀬春樹氏、ゆみこ・ながい・むらせ氏の戦中・戦後の道具等を展示したヒストリートIIがオープンします。

 今月紹介するのは現在でも健康飲料として人気の高い乳酸菌飲料ヤクルト。
 左の写真を見て懐かしく思う人、へ~っと驚く人いろいろだとだと思います。ヤクルトも当初は瓶詰めで販売されていました。
 日本でヤクルトの製造・販売が開始されたのは戦前(一九三五年)ですが、株式会社ヤクルトが東京を本社として設立されたのは五五(昭和三〇)年。同年六月、ヤクルト沖縄総代理店が那覇市に開店し、九月には中の町に中部営業所が開所していること、六一年には市内に十一の取次所があったことが当時の新聞で確認できます。中部営業所開所の広告には「沖縄に進出以来未だ日浅きにも拘らず多数の方からご愛飲を頂き(略)中部の皆様のご要望に応えて(略)」とあり、比較的短期間に愛飲者を増やしたことがうかがえます。
 七二年に瓶の容器からプラスチック容器に変りますが、瓶のヤクルトを覚えている世代の方からは「風邪をひいた時しか飲めなかった」と小さな瓶に入ったヤクルトを大事に大事に飲んだ思い出話もよく聞きます。創業者は広く人々に飲んでもらえるようハガキ一枚の値段で販売するのが理念だったそうですが、残念ながらドル時代の沖縄での販売価格の記録は残っていないようです。覚えている方はご一報下さい。

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