更新日:2022年3月1日
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皆さんは広島市の広島平和記念公園内にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子(サダコ)さんを知っていますか?
佐々木禎子さん
(特定非営利活動法人sadakolegacy提供)
原爆の子の像(広島平和公園)
佐々木禎子さん(当時12歳)は、2歳のときに広島において被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。しかし、9年後の小学校6年生の秋(1954年・昭和29年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院しました。禎子さんは病床においても生きる希望を1枚1枚の折り鶴に願いを託し、精魂込めて折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、1955年(昭和30年)10月25日に亡くなりました。
禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。その後この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられています。
平成24年度沖縄市平和大使の広島派遣において、禎子さんの実兄である佐々木雅弘さんの朗読劇を拝聴し、その中で沖縄と広島の恒久平和を願う架け橋として禎子さんが実際に折った折り鶴(以下「サダコ鶴」という。)を沖縄市へ寄贈したいとの申し出がありました。
平成25年9月7日(土曜日)沖縄市民会館において行われた沖縄市民平和の日を定める条例制定20周年記念行事のオープニングセレモニーにて寄贈式が行われました。国内においては沖縄市が初めての寄贈となりました。
サダコ鶴贈呈式(平成25年9月7日)
寄贈されたサダコ鶴
寄贈されたサダコ鶴は、世界の恒久平和を願う架け橋として、平成25年9月19日(木曜日)より沖縄市役所本庁1階に常設展示しております。市民の皆様にご観覧いただき、自ら平和に向き合う機会創出に寄与するものとなるよう保存していきます。なお、禎子さんに関する書籍も展示しておりますので、是非ご覧ください。
展示の様子(1)(沖縄市役所1階待合ホール)
展示の様子(2)
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