今月の人

大正4年生まれの長寿ボウラー
東の最上位横綱に番付

295/前原 信光(まえはら しんこう)さん(101)

 今年8月で101歳となった長寿ボウラー前原信光さん。
 ボウリングを始めたきっかけは57年前、友人に誘われたことで、現在は、浦添市の「マチナトボウル」で毎週木曜日の朝7時から3ゲームを投げる。 リーグ戦にも参戦しており、アベレージは150点を超える。
 今月は、心身共に健康な前原さんに話を聞いた。

 前原信光さんは、8人兄弟の次男として、大正4年に今帰仁村呉我山で生まれた。 23歳で出稼ぎのためサイパンに渡り、31歳で沖縄に戻り軍作業員、稲作農業、カツオ漁、せとものの小売業に従事した。 45歳の時に現在のひまわりガス株式会社の前身である前原プロパンを設立。その後、47歳で合資会社中部充填所を設立した。83歳で代表取締役を息子に托し、会長に就任した。 現在は、子8人、孫21人、曾孫22人に囲まれ、高齢のため耳は遠いが心身共に健康で、今は亡き両親と義母に感謝していると話す。 好きな言葉は「感謝の心」で、健康の秘訣は、ボウリングをすること、規則正しい生活をすること、飲酒・喫煙をしないこと、趣味を持つこと、週2回大好物のカレーを食べることの5つで、夜は11時までに就寝し、朝は6時に起床する。 ボウリングは57年間続けており、昭和44年に長崎国民体育大会のシニアの部で4位入賞した実績もある。 100歳を越えた今でも、毎週木曜日の朝7時からマチナトボウルで行われている「おはようリーグ」に参加しており、50数年間のうち休んだのは6回だけで「ボウリングは私の生き甲斐だ」と話している。 全国でも100歳以上のボウラーは前原さん1人だけで、日本ボウリング場協会が発表した平成28年度「長寿ボウラー番付」では「東の最上位横綱」に番付されている。 シニアのボウリング大会では、優勝候補の1人で、昨年11月の「第26回全沖縄シニアボウリング大会」では、2度目の優勝を飾った。
 前原さんは、ガスの保安や商工会の運営改善、交通安全、教育など、多方面で尽力しており、数多くの団体から表彰されている。92歳の時に発刊した自叙伝「魂」には元県知事、同業者、娘と様々な人からの祝辞や寄稿が掲載されており、人望の厚さが伺える。 前原さんはこれからも大好きなボウリングで健康を維持し、楽しみながら地域に貢献していく。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 1945(昭和20)年9月7日、越来村(ごえくそん)(現・沖縄市) 森根(もりね)において執(と)り行われた琉球列島(南西諸島)の降伏調印式(こうふくちょういんしき)によって、あの苛烈(かれつ)な沖縄戦は正式な終結を迎えました。 ご承知の通りこの日は、1993(平成5)年に制定された「沖縄市民平和の日」の由来となっています。
 現在、ヒストリートⅡにて開催中の企画展「沖縄市の沖縄戦とコザ孤児院(こじいん)」では、本市における沖縄戦の状況や特徴、降伏調印式の詳細な様子と同時に、米軍基地に消えた式典跡地(しきてんあとち)の変遷(へんせん)、 戦後直後の市民生活、さらに戦世(イクサユー)を生き抜いた子ども達を、諸資料(しょしりょう)で紹介しています。 左で紹介しているのは、1953(昭和28)年頃の「スティルウェル記念公園」の写真です。 左下に白字で書き込まれた「”Vinegar-・Joe”」(ビネガー・ジョー)とは何か、中央に見える小さな看板には、どのような事が書かれているか、展示室でぜひお確かめ下さい。
 企画展は12月28日まで開催。この一年の締めくくりに、戦後「基地の街」として特異な発展を遂げ、「コザ文化」を創出した我がまちの出発点を再度振り返ってみたいと思います。
 また来年新たな気持ちで、明るく平和なまちづくりを考えていきましょう。


スティルウェル記念公園( 現「平和の園」)
【1953( 昭和28) 年ごろ、越来村森根/ウィリアム・マイベリー氏撮影】
  • ■市史編集担当/TEL:929-4128(直通)
  • ■ヒストリート、ヒストリートⅡ/TEL:929-2922

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