今月の人

地域はこども達の学びの場

287/宮里・モラノ・ジュンさん(26)

沖縄市では、出前児童館キッズデポを公民館や公園で開催しており、多くの児童が利用している。出前児童館キッズデポを平成17年度から委託され、事業を行っている特定非営利活動法人沖縄ハンズオンでは、人材育成や地域交流などを行っており、今回は、沖縄ハンズオンの宮里・モラノ・ジュンさんに、こどもと地域の関わりや居場所づくりについて話を聞いてみた。

宮里・モラノ・ジュンさん

 宮里・モラノ・ジュンさんは、沖縄市生まれの北谷町育ちで、中学3年生の時に、沖縄ハンズオンの活動に出合ったことがきっかけで、ボランティア活動などに参加するようになった。高校生の時は、バスケットボール部に所属しながら、沖縄市子ども会育成連絡協議会のジュニアリーダーの代表を1年生の時から3年間務めた。卒業後は、海外留学を考えていたが、ジュニアリーダーの育成者、支援者として進路を決め、歩み始めた。
 宮里さんが所属する特定非営利活動法人沖縄ハンズオンは、平成14年に設立され、人材育成と起業家教育、まちづくりの推進に寄与することを目的に活動を行っている。
 沖縄ハンズオンは、平成17年に本市から委託され、放課後のこども達の居場所づくりを目的とした、沖縄市出前児童館キッズデポの活動をしている。
 出前児童館キッズデポは、月曜日から土曜日まで、公民館や公園など市内10か所で開催し、午後4時から午後6時までの2時間、市内在住の児童と保護者を対象に、様々な学びの場の提供を行っている。キッズデポでは、「しまくとぅば紙芝居」や「空き缶で伝統食作り」、「ソテツで虫かご作り」、「ペットボトルを使った科学実験遊び」など様々なプログラムを実施しており、年間5千人が利用しているそうだ。出前児童館キッズデポの活動は、地域のこども達に浸透しており、キッズデポでは年長の児童が、年下の児童の世話をしたり、運営の手伝いをしたりと、低学年と高学年が隔てなく交流している。宮里さんは「出前児童館キッズデポが開催していない日でも、こども達が地域の公民館を気軽に利用して欲しいです。こども達同士であそびを色々考えたり、新しいあそびから学びが生まれることもあります」と話していた。
 沖縄ハンズオンではその他にも13年前からこども達がおきなわマラソンの通訳ボランティアに参加したり、老人ホームに出向き、しまくとぅばで演劇を披露したりするなど活発に活動している。宮里さんは「こども達が自ら色々なことに取り組み、社会体験を通して、様々な事に対応できる地域のリーダーになって欲しい」と話している。
 宮里さんは最後に「こどもの仕事はあそび。もっとこども達が地域に出て、人と触れ合う機会を皆でつくっていきたい。地元地域が学びのキャンパスです」と語った。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 今月からヒストリートⅡでは、企画展「石川文洋が見た沖縄」を開催いたします。  報道カメラマンの石川文洋氏は、1965年から4年間、ベトナム戦争にカメラマンとして従軍し、戦火の中のベトナムを撮影しています。その光景に戦時中の沖縄を重ね合わせて見ていたといい、帰国してからは戦後の沖縄の実状、移り変わっていく様を写真に収め続けています。
 写真にはコザ市(現沖縄市)の様子も多く撮影されています。「基地の街」とも称されるコザは、米軍人・軍属を相手にした歓楽街が形成された場所もあります。昨年誕生30周年を迎えたセンター通り(現中央パークアベニュー)もその一つで、ベトナム戦争時には、ベトナムへ出兵する兵士、ベトナムからの帰休兵たちで賑わっていました。米兵たちは、札束をもってコザの街を訪れ、戦死したらお金は使えないとばかりに惜しみなくお金を使っていたといいます。店では売上げのドルを数える暇もなく、ドラム缶やダンボールに押し込むほど繁盛していたようです。
 このような沖縄の実状を捉えた石川氏の写真と共に、戦中・戦後の生活道具も展示しています。沖縄のこと、戦争や基地問題、平和について考える機会にしてみませんか。皆様の来場をお待ちしています。

センター通り・1969年【撮影/石川文洋氏】
センター通り・1969年
【撮影/石川文洋氏】
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