今月の人

地域のかなめである自治会活動の活性化をめざし

251. 小谷 良博(こたに よしひろ)さん(56)

小谷 良博(こたに よしひろ)さん(56)

今月は去年の十二月から自治会の会長で組織される自治会長協議会の新会長に就任した小谷良博さんを紹介する。地域住民の交流の場として、高齢者の見守りや災害時に協力しあう地域活動の要として重要な役割を担う自治会活動についての思いや、自治会長協議会会長としての今後の展望について話を聞いた。

小谷さんは父母の代からずっと登川に居住し、若い頃は青年会長も経験した。二十代後半の頃、登川青年会がハワイに招待され、そこで2週間エイサー披露公演をした思い出もある。その後、働きながら登川区の役員も務めるなど地域活動に携わってきた。五十一才で、それまで勤めていた建設業の会社を辞め、登川の自治会長になり地域のために活動している。

登川自治会は自治会加入率が五十パーセントに近く、三十七自治会中、上位5位に入る。自治会費も集金人が集めるのではなく、住人みんなが自治会まで持ってきてくれる。毎年十二月にはフォークソング祭りを開催しており、時期が近づくと開催日の問い合わせがくるほど人気だ。また、多世代交流会も毎年開催し、こども達が植えて収穫したじゃがいもでカレーを作り、普段家に閉じこもりがちな高齢者達を招待して交流を行う。何百人も集まり毎年大盛況だ。

近年、地域のつながりが希薄になり自治会加入率の低下が問題になっている。自治会が何をしているのか、自治会費が何に使われているのかわからない人も多いだろう。地域住民の夜道の安全を守る保安灯が自治会費から支払われている事をご存じだろうか。子ども達が安全に登下校できるように毎日パトロールしてくれているのも老人会の会員だ。小谷さんも週に二、三回は地域の一人暮らし高齢者宅へ見守り訪問を行い、行けない時は電話で安否確認をしている。どこに高齢者が住んでいるのか福祉マップも作成し、災害の際に助け合う自主防災組織の立ち上げも準備中である。自治会は地域の住民が集う場所であり、地域住民が協力して住みよいまちを作っていくためになくてはならない組織なのだ。

自治会長協議会では、自治会加入率を上げるための取り組みとして三月二十五日から十日間、沖縄市役所一階市民ロビーに加入促進のブースを設け、市内への転入者に自治会加入を呼びかける予定。

余所(よそ)に生(うま)りてぃん
しまに生りてぃん
隔(へだ)て無ん暮らし 笑い福い

(よそで生まれてもここで生まれても隔てなくみんなで笑って暮らそう:登川のことわざ)のように市民が仲良く協力して生活することを願っている。

▼戦後文化シアター 今月のヒストリート

市史編集担当/TEL:929-4128
ヒストリート、ヒストリートII/TEL:929-2922

左:砲弾型の国旗ケース 右:紙製の国旗ケース
▲左:砲弾型の国旗ケース
 右:紙製の国旗ケース

春四月。

新生活のスタートを切った皆様も多いことでしょう。

各学校の入学式には校旗と共に国旗が掲げられていたと思います。

写真は、戦時中に使用された国旗ケースです。

右の紙製ケースは、ふたの部分に国旗を掲揚する日として「四月三日神武天皇祭」「四月廿九日天長節」などが記され、左のケースは砲弾を模していて、これらが製作された時代背景をそのまま表しています。

国のマークである国旗は、その時代時代で扱い方が変わっていきます。

日本復帰前の沖縄では、米国によって日本国旗の掲揚が禁じられていた時期がありますが、一九五二年四月二八日の対日講和条約発効以後、政治的意味をもたない場合に限り、私的な場所での掲揚が認められ、六一年には祝祭日に公共施設で掲揚することも認められました。掲揚に関する規制が完全に撤廃されたのは六九年です。

一九五九年の琉球新報にはコザ市の青年有志が「正月には日の丸を揚げましょう」と国旗掲揚運動を行う記事が、六四年オリンピックの年には、聖火リレー歓迎のために生命保険会社が琉球新報社へ国旗を寄贈、そのうちの二〇〇本が中部支局で無料配布されましたが、配布開始からわずか一〇分で品切れ。日の丸を求めて大勢の人々が集まった様子が伝わってきます。

異民族支配下のウチナーンチュにとって、国旗は文字通り、復帰を願う旗印だったのですね。

さて、現在の国旗の存在はどうなのでしょう?