商店街から交流街へ

人が行き交い、商店街からは話し声や笑い声が絶えまなく聞こえてきた、なじみの顔があった、まちのにぎわいがあった、商店街は交流の場だった

 本市の中心市街地の商業機能は、国道330号線に沿って、コザ十字路地域、胡屋十字路地域、山里地域の三拠点を中心に連綿として続いており、帯状に連なる独特な形状をじくにして、それぞれの地域特性を活かした異なる性質の商業機能をコンパクトに集積させている。

コザ十字路地域(銀天街商店街)

 コザ十字路地域は有志たちが水田を埋め立て、テントの屋根で衣類や日用雑貨を売り始めたことが契機であると言われており、その後、庶民のまちとして栄えてきた。現在でも沖縄の伝統行事等でまかなわれる、てんぷらなど、重箱料理を中心とした飲食店が多く立地するとともに、さらに衣料品を扱う店もおおく、特に高齢者向けの衣料品が充実している。

 このような歴史的背景や現状を踏まえ、当該商店街では「庶民の台所」「高齢者の買い物客が集い憩う場」として、周辺住民や中心市街地内の高齢者をターゲットとしたにぎわいの創出を目指している。

胡屋十字路地域(一番街商店街、中央パークアベニュー、コザ・ミュージックタウン)

音楽産業の振興とまちの活性化を図ろうとコザミュージックタウンから沖縄市の新しい音が聞こえてくる
▲音楽産業の振興とまちの活性化を図ろうとコザミュージックタウンから沖縄市の新しい音が聞こえてくる

 嘉手納基地第2ゲートの門前町前に位置する当該地域は、戦後のアメリカ文化の影響を最も強く受けた地域である。その結果、外国人経営者の店が軒を連ねるコザゲート通りや中央パークアベニューといった、独特な景観が形成されるとともに、現在、大きな地域資源ともなっているライブハウス等が多く集積し、国際色豊かな商業地域となっている。

 一番街商店街も中心市街地の衰退による空き店舗が目立つ一方で、現在ではおしゃれな雑貨店や衣料品店など、若者向けの店舗が増えてきている。

 さらに、平成十九年にオープンした「コザ・ミュージックタウン」では、地元地域に密着したライブから、本土でも著名なアーティストによるライブに至るまで、さまざまな音楽イベントが実施され、「音楽のまち沖縄市」の新たな顔として定着しつつある。

 当該地域は、まさにコザ文化を肌で感じることができる中心的な地域きであり、「音楽があふれ、国際色豊かな若者が集うまち」として、地元や沖縄県内の若者を中心にコザを愛する沖縄県民・観光客を惹きつけている

住む人・来街者目線での居心地の良いまちづくりがスタートする

多くの人々の交流がある、生きた情報の共有がある、それぞれの人の情熱が、協力が、力が、まちは人がつくる

山里地域(プラザハウスショッピングセンター)

 山里地域に位置する「プラザハウスショッピングセンター」は、昭和三十五年に、アメリカ支配の下で、戦後初めて日本本土から観光客が沖縄を訪れた。それ以降、日本人観光客の県内観光コースにも組み入れられ、日米を問わず様々な客層を対象として発展してきた独特な経緯を持つ。

 現在はレンタカーによる観光手段が主流となったことなどにより、観光客の入れ込みはかつてほどではないものの、依然として国内では珍しい諸外国の特産品を扱う専門デパートとして異彩を放っており、在沖縄の米軍人をはじめ、県内の富裕層、アメリカナイズされた雰囲気に魅力を感じた観光客などが多く訪れるスポットとなっている。

 このように当該地域は、アメリカ文化を濃厚に感じられる商業の発祥の地としての集客力を活かすとともに、こうした魅力を中心市街地に全体の魅力として波及させるなど、相乗的なにぎわいを生み出す可能性を秘めたエリアとしての役割が期待されている。