今月の人

中の町の活性化無しに市の活性化は無い

215.中島 一敏さん(63)

 かつて「歩けば肩と肩がぶつかる」と言われるほど大勢の人で賑わった中の町社交街。しかしここ数年続く不景気の影響で中の町も苦戦を強いられている。「今はただ店を開けて客を待つだけの時代ではない。店を経営する我々も何かを考えて行動せねば」との思いを抱く人がいる。昨年、市社交飲食業組合長に選出された中島一敏さんだ。今月は中島さんの中の町活性化にかける思いを紹介する。

 「沖縄市の観光資源と聞かれて思い浮かべるのは何ですか?」と冒頭に切り出した中島さん、「僕は『中の町』こそが一番の観光資源だと思いますよ」ときっぱりと言い切った。「中の町にはスナック、バー、居酒屋、民謡酒場、ライブハウスなどいろんな種類の店が林立している。こんなにたくさんの特色ある店が並んでいる魅力的な町、他所には例がない。この地域は本当に市にとって大切な顔であり観光資源でありそして経済の場だと思います。」と話す。
 昨年五月、市社交飲食業組合総会で組合長に選出されてから十カ月が経った。現在中島さんは出来るかぎり時間を作り、様々な会合やイベント、他市町村のまつりなどに足を運ぶ日々を送る。良い事例からはどんどん学びそれをまちの活性化につなげたいと考えているからだ。「十カ月間組合長を経験してみて感じていることは、沖縄市は行政、観光協会、商工会議所、社交飲食業組合、この四者の連携がまだまだだということ。組織間で密な連携が取れればもっといろんなアイデアが生まれ、いいイベントや祭り を作ることができると思う。これから市を活性化させるためにも今は多くの人と顔をつないでいろんなことを学び、情報を蓄える時期と考えている。市のイベントの意思決定の場にもどんどん参加したいと思っている」と中島さんは話す。
 就任二年目の目標について尋ねてみると、「町の健全化に取り組みたい」との答えが返ってきた。「キャッチなどを一掃して安心して楽しく遊べる町にしたい。それには行政や警察との連携が欠かせない。組合も協力してやっていきたい。健全な町に変われば中の町は『本当の市の観光資源』になる」と強い決意を語った。
 「中の町には本土からのリピーターがたくさんいる。彼らに話を聞くと、「中の町には『沖縄らしさが一番色濃く残っている場所だから惹かれる』と答える。多くの人を魅了する中の町の魅力を市に住む人々が認識し、その魅力を、市をあげて発信していけば中の町は元気な町になると考えている。中の町が元気になれば沖縄市も必ず元気になりますよ。」と笑顔を見せた。

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▼戦後文化シアター 今月のヒストリート

▲嘉手納基地からベトナムへ
 出撃するB52 1969年

市史編集担当/
TEL:929-4123
ヒストリート、ヒストリートII/
TEL:929-2922

 四月、新年度の始まりです。
 昨年九月にオープンしたヒストリートIIもこの半年で約六千人の見学者を迎えました。
 今月からこのコーナーでは石川文洋氏『戦争と人間』『沖縄わが故郷』の写真を紹介していきます。
 今回は、なぜ沖縄市(ヒストリートII)でベトナム戦争の写真を展示しているのかお話します。
 ベトナム戦争時、沖縄は米国の軍事行動の拠点でした。戦場へ送る物資の補給をはじめ米軍基地の機能は基地で働く沖縄の人々が支えていました。
 また、出征前の米兵たちがつかの間の自由を謳歌するために過ごした場所はコザを中心とする沖縄の歓楽街でした。
 ある意味沖縄はベトナム戦争の後方支援の場として存在していたのです。
 一方、ベトナム戦争と同時期に石川氏が沖縄で撮影した写真には基地撤去・反戦平和を訴える沖縄の人々の姿があります。
 ベトナムを攻撃するB52が発着した嘉手納基地を抱え、米兵たちで溢れる歓楽街を擁していた沖縄市はそれらのことから何を学び、未来へつなげていけばよいのでしょうか。
 石川氏の写真から見えてくるものがあれば幸いです。

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