広報おきなわ 6月号(No.420)

今月の人

たくさんの人をまちづくりに巻き込んでいきたい

205.豊田益市さん(59)

豊田益市さん

 市には「顔」になる場所が必要だと訴え、胡屋地域を中心とした市街地の活性化に熱い情熱を燃やし日々奔走する人がいる。コザ商店街連合会副理事長で、NPO法人「コザまち社中」副代表もつとめる豊田益市さんだ。憎めない人なつっこい表情に歯に衣着せぬ物言い。豪快かつ緻密に、明るい明日のコザを思い描き活動を繰り広げている。

 豊田さんがまちづくりに関わり始めたのは平成十七年、パークアベニューにスポーツ&ミュージックバー・サイドウェイズをオープンさせてから。元々ロック少年だった豊田さん、現役(磁気探査会社社長)を引退したら本格的にミュージシャンになりたいという夢があり、夢実現のための第一歩と、スポーツ観戦やライブが出来るお洒落な店を作った。しかし実際に店を開いてみると、自分が知っていたかつてのコザの賑わいはそこにはなかった。魅力のある個々の店に客はいるが人通りがなく街並みは寂しい。「このままではコザは置いて行かれる」と焦燥感を抱いたという。そんな折、まちづくり三法が改正されたことを知った豊田さんは市の中心地・胡屋地区を元気にしていこうと胡屋地区の各通りの仲間とともにコザ商店街連合会を結成、副理事長に就任した。街の活性化について講師を招いて勉強したり、街の人々と意見交換したりしながら、魅力的な街並みの青写真を描いては関係各方面に積極的に働きかけている。また昨年はNPO法人「コザまち社中」の立ち上げにも加わり副代表となった。連合会では商店街の人々のコンセンサスの確立を、NPOでは人材育成と街の構造的な解析を行うなどハードとソフトの面から活性化の答を導き出そうと日々走り回っている。「まちづくりは全体でやるもの。いかに多くの人を巻き込んでいくかが課題。いいアイデアを持っている人がいれば連合会でもNPOにでもどんどん意見を寄せてほしい。みんなの意見を柔軟に反映させていきたい。市民一人ひとりが『愛してるぜ、コザ』の気持ちを持って街に出ればうまくいく」と、自分たちの街について考え、愛情を持つよう呼びかけた。
 日々の全精力の半分は街のために費やしていると自負する豊田さん、彼を突き動かす原動力を聞いてみると、「街に人通りが戻ったら友人の前だけじゃなく流れの客の前でも演奏したいだけ。ポケットにはいつもピックが入っているぜ」と悪戯っぽく笑った。好きな言葉は「JUST DO IT」「打たぬ鐘は鳴らぬ」。その言葉を実践する団塊の旗手だ。


 ▼戦後文化シアター 今月のヒストリート

軍隊手帳
軍隊手帳

市史編集担当/
TEL:939-1212(内線2273)
ヒストリート/
TEL:929-2922

 今回はヒストリートの沖縄戦コーナーにある小さな「軍隊手牒(てちょう)」の紹介をします。
 明治時代の軍の成立から存在し、軍隊に入隊すると同時に交付、身分証明書を兼ねているもので、軍人としての心構えや公的記録としての兵役中の履歴などが掲載されており、勝手に手牒に書き込むことは禁止されていました。
 また個人での保管を義務づけられ、故意に破損や紛失したりすると賠償した上で懲罰に処すると書かれており、大切に扱わねばなりませんでした。
 そして「軍人勅諭(ちょくゆ)」(明治一五年に下賜)や「教育勅語(ちょくご)」等が手牒に掲載されるようになり軍人の精神規範となるものだったので暗唱するよう命じられます。 昭和一七(一九四二)年には「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」の一文のある「戦陣訓(せんじんくん)」が掲載され、軍人の精神主義を強調させています。
 戦況が不利になるにつれ、海外での戦地では機密保持のために機密文書と一緒に手牒を燃やすように命令が出たようです。
 一方、沖縄戦で移動中に大雨でずぶ濡れになり「負けているし必要ないだろう」と思い、暖をとるために軍隊手牒を燃やしたという話も聞いたことがあります。
 丁重な扱いを命じられた手牒でしたが、去る大戦で戦火にあい現存する手牒は少ないようです。