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◆ 広報おきなわ(No346)  4月号

写真
地域のため、人々のために
何か役立つことを
<132> 宮 里 信 光 さん (64)
 「御衆様、今日、拝なびら。我ねー美里間切ぬ、泡瀬近くんかいあいびーる、古謝村生り、古謝育ちぬ、宮里信光んで言しやいびーん」。流ちょうな方言で語りだす。今月1日に行われた第5回市老連意見発表会の一コマである。「交通事故にあわない為に」と題し豊かな経験談を発表、見事最優秀に輝いた、宮里さん、今月は宮里さんに登場してもらい同発表会での思いや日頃、感じていることなどを聞いてみた。
 古謝地域の高台、津嘉山森近くにある宮里さん宅を訪ねた。
 「どうぞ入って下さい」歯切れのいい、さわやかな口調が印象的だった。
 宮里さんは現在64歳、しかし、ばりばりの現役である。勤め先は波之上自動車学校、指導員として学科を担当している。20歳の頃から勤めているから四十数年になる。
 日課としては早朝6時に家を出る。自動車学校に着くと、まず発声練習をする。声の調子はどうか確認する。その調子が宮里さんにとって健康のバロメーターかも知れない。1日の業務を終え帰宅の路に着くのが7時30分。家への到着は8時30分を回っている。それから夕食、11時にはきっちり寝る。
 「43年間、そういう毎日を送ってきましたね」と日々を振り返り、苦笑いするが、信念を通し一心不乱に生きている姿が宮里さんの瞳に写る。
 そして、宮里さんにはもう一つの顔がある。昭和50年に監察庁から依頼を受け、定期的に交通関係の講義を行う仕事。さらに53年に法務大臣からの委嘱で保護司として任務にあたっている。趣味はの問いに「趣味は仕事、仕事をやっている時が一番充実してますね」と即座に返ってきた。
 何度か講話を行ったことのある宮里さんに1月に行われた市老連意見発表会の思いや講話について聞いてみた。「私は言葉は文化だと思っているんです。だから島くとぅばが大好きだし、残していかなければならないと思っています。だから発表を方言でやりたいとの条件をつけたんです。それで方言で話したんです。」「むし御皆様が道、横断しみせーねー、右り左ぬ安全確認しみそーち、近寄て来る車ぬ運転手ぬ、見ちから、道へ渡いみそーり」こんな調子である。講話については自分の信条として「印象に残る講話をする、それは自分の体験談を訴えること、そして説得力があれば必ず伝わると思うからです」と云う。日課でもある発声練習と早口言葉の訓練も欠かさない。
 今後はボランティアとして、「要望があれば講話をして廻りたい」と話し、常に心に止めていることは、「人の役に立つこと」。取材を終え、庭先まで出てきた宮里さん、古謝の地域が一望できる高台から見下ろし「生まれも育ちもここ、だから地域のため、人々のために自分でできる何かで恩返しがしたいんです」とぽつんともらした。
歳時記
うりづんの季節到来
 4月に入り陽光まぶしい“うりづん”の季節を迎える。市内与儀の拝所上殿(ウィードン)に、「おきなわの名木百選」に選ばれた樹齢300年を越えるデイゴの大木がある。部落の人によると5年に一度木全体が深紅の花で染まるという。
 四月がなりば 梯梧(デイゴ)ぬ花咲ちゅい
  暗さある山む 赤くなゆさ
            (組踊 女物狂)
 4月(旧3月3日)は浜下り。『かつて泡瀬では「三月遊び」「サングァチャー」と称して潮時をみはからって浜に下り、貝などを拾って一家団欒を楽しく過ごした。この日は各家庭お重を盛って一日浜に出て白浜を踏み、潮に手足を浸して邪気を払い健康を祈願した。』(泡瀬誌)
 今年は5日が清明(シーミー)入り。『球陽』に尚穆王17年(1768年)の項に「はじめて毎年清明祭を行うことを定める」との記述あり。休日ともなれば、倉敷の霊園や市内の墓地では、家族や親類が集まり先祖に手を合わせご馳走を味わう姿で賑わう。山原出身者も多い沖縄市、シーミーのため山原に帰郷する人も多い。
 清明祭やままごと遊んだ月桃花
          (利奈 沖縄女子学園)
 平成15年度の沖縄市の入学式は小学校が4月8日、中学校は7日。ちなみに今年の新入生は、小学校が前年より76人多い1,789人、中学校が39人少ない1,649人。(2月現在)
 25日からゴールデンウィークが始まる。

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