今月の人

ミュージカルの魅力と舞台の迫力を発信

292/屋比久 知奈(ともな)さん(22)

 去る5月に東京の帝国劇場で開催された「全国拡大版ミュージカル・ワークショップ『集まれ!ミュージカルのど自慢』」のグランドファイナルで見事最優秀賞を受賞した屋比久知奈さん。
 今回は、表現者として舞台に立つことを目指す屋比久さんに話を聞いた。

 屋比久知奈さんは、コザ高等学校卒業後、琉球大学に進学し、法文学部国際言語文化学科で英語文化を専攻しており、現在は4年生である。4歳の時からクラシックバレエを習い始めて、小学校低学年の時に劇団四季の「ライオンキング」を観賞し「舞台はとても迫力があって楽しそう」と感じたそうだ。 コザ高等学校在学中には、アメリカ合衆国ミシガン州で、約10か月間海外留学をしており、その際にブロードウェイで本場のミュージカルを観賞し、舞台への想いが屋比久さんの中で再燃したそうだ。 大学2年生の時に、英語文化専攻の生徒たちが主体となって公演した英語のミュージカル劇「フットルース」にヒロイン役で出演しており「演じる際に、全て英語のセリフを観客にどう伝えるかに重点をおいて表現したことが、とても新鮮でした」と話す。 その後、屋比久さんは大学3年生の時に、映画演劇文化協会主催のミュージカル曲の歌唱力を競う「全国拡大版ミュージカル・ワークショップ『集まれ!ミュージカルのど自慢』」に応募した。 ミュージカル・ワークショップでは、全国から2000 人を超える応募があるなか、5月30日に東京の帝国劇場で行われたグランドファイナルまで駒を進めた。最終選考で、屋比久さんはミュージカル「ミス・サイゴン」の曲目「命をあげよう」をしっかりと歌いあげ、みごと最優秀賞を受賞した。 受賞について屋比久さんは「幼いころからバレエの発表会など舞台上で演じる機会があったので、緊張せず最終選考会に臨めました。最優秀賞に私が選ばれるとは思っていなかったので、とても驚いたし、嬉しかった。 支えてくれた家族と友人に感謝しています。私はこれまで度々ミュージカルを意識する機会があり、今は舞台で演じてみたい気持ちでいっぱいです。ミュージカルは、体の使い方や声の出し方、表現方法などがバレエとは違うので、もっと学んでミュージカルの魅力を多くの人に発信したいです」と話している。
 大学卒業後は、本格的に表現者として活動をスタートする屋比久さん。最後に「いつも周りで私を応援してくれる人に感謝の気持ちを忘れず、自分の目標をみつけて、達成するために有意義な時間を過ごし、活躍する姿を見せたいです」と、今後の抱負を笑顔で語った。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 今回は、開催中の移民・引き揚げ・インヌミそして…〜インヌミ収容所公式開設70周年〜にちなんで沖縄市の戦前移民と引き揚げについて紹介します。
 戦前の沖縄では、第一次大戦後の世界恐慌に伴って糖価が暴落し、大打撃をこうむった農村から、大量の移民が発生しました。 移民先は、北米や中南米、東南アジアなど各地に及び、戦前・戦後を通して移民を輩出した沖縄は、日本有数の移民県と称されました。
 本市からも1904(明治37)年、メキシコへ移民した山内出身の比嘉さんを先陣に、41(昭和16)年までに約3300人がハワイやペルー、フィリピン、ブラジルなどに移民しています。 字別(あざべつ)には泡瀬が最も多く、比屋根、古謝と続き、三字で全体の36%を占めています。また日本統治下にあった南洋への自由移民や国策移民として満州国へ送出された人々も数多くいました。
 やがて日本の敗戦に伴い、移民先などの国々から日本人は強制送還されます。すでに米軍の統治下にあった沖縄でも17万人余の県民が引き揚げてきました。
 引揚者たちは全滅したとされる家族の安否と、将来に不安を抱きながらも久場崎港に降り立ちました。彼らは高原に開設された引揚民収容施設「インヌミ」を経て故郷へ帰り、自らの、沖縄の戦後復興にまい進します。


最初の引揚者を歓迎する軍と民政府の職員たち(1946年8月)
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