今月の人

大好きな知花花織を世界にもアピールしていきたい

250. 神田 尚美(かみだ なおみ)さん(39)

上門 拓矢(うえじょう たくや)さん(20) 右、江洲 文音(たかえす あやね)さん(20) 中央、松川 聖哉(まつかわ せいや)さん(20) 左

昨年七月、県内では二十三年ぶりに国の伝統的工芸品の指定を受けた知花花織。本市知花・登川地域で古く昔から祭事の際に着る最上の晴れ着として代々受け継がれてきた。紺地に赤と白の模様は素朴な印象だが、その中に華やかさも温かさもある。今月は、知花花織事業協同組合副理事長兼技術指導員の神田尚美さんに知花花織への思いや今後の展望について話を聞いた。

神田さんが織物に興味を持ったきっかけは小学校の社会見学で読谷山花織を見たことだ。もともと図画工作などのモノ作りが好きで、将来そういう職業に就きたいと思っていた。高校を卒業後、沖縄県立芸術大学へ進学し大学の授業で陶芸や紅型などを学び、卒後後は、織物だけではなく写真など、その当時、興味を持った事に次々に挑戦していった。そんな生活を四年間過ごした後、やっぱり織物に携わりたいと思い、南風原町にある沖縄県工芸技術センターで織物研修を受けた後、知花花織研修生三期生に応募する。

研修生として八か月間基本的な技術を習得したのち、知花花織研究会に加入し、会員のメンバーと共にコースターやテーブルセンター、帯地などを製作し、知花花織の普及・販売活動を行ってきた。その収入だけでは生計をたてるのが難しく、販売員のアルバイトをしながら、毎日時間をやりくりして織物をする日々であった。そんな厳しい毎日を支えたのは、伝統的で奥深い魅力を持つ知花花織を普及させたいという関係者や研究会の仲間との共通の『思い』である。

知花花織は、古く昔から沖縄市知花・登川の地域で五穀豊穣の祭り(ウスデーク)や馬乗り競争(ンマハラセー)などの祭事で着る最上の晴れ着として代々受け継がれていた。市では知花花織で新たな地域文化産業の創出を図ろうと平成十二年から支援を推進し、昨年の七月、県内では二十三年ぶりに国の伝統的工芸品の指定を受け、これまで以上に注目が集まっている。注文も増え、現在三十九人いる組合員の意識も大きく変わった。出来上がった商品に対しての責任感や知花花織に携わる誇りを持ってみんな一生懸命製作をしている。

今後は、神田さんを魅了し続ける、素朴さの中に華やかさと温かさを併せ持つ知花花織をもっと普及させるために、後継者の育成に力を入れ、組合の生産体制を整え地場産業として確立させていきたいと考えている。伝統を受け継いで発展させ、沖縄市の素晴らしい工芸をまずは地域の人に知ってもらい、最終的には世界に向けてアピールしていきたいと考えている。

▼戦後文化シアター 今月のヒストリート

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左:ファイヤーキング(1960〜70年代作) 右:パイレックスブルーライン
▲左:ファイヤーキング
(1960〜70年代作)
右:パイレックスブルーライン

白色にブルーの2本のラインが入ったカップやお皿を見たことありますか?

写真のカップはアメリカのパイレックス社とファイヤーキング社の商品です。

頑丈で耐熱性にすぐれた厚手のガラス素材ですが、カップや皿以外の容器類もあり、デザインも豊富で世界中で愛用されています。しかし、これらの商品が米軍に納入されていたのはあまり知られていないようです。特に写真のデザインは米海軍に納入されていたもので、沖縄ではよく見かけるデザインです。見るどころか毎日使っているという方も多いかもしれませんね。

軍隊で使用する品物は国が莫大な費用をかけて開発製造しているので耐久性や機能性などはかなり重視されており、私も何回か落としたことがありますが、割れません。実は私自身このデザインのスープ皿が大好きで好んで使っている一人です。

この食器を家庭の食卓でみかけるようになったのは、米軍基地内のレストランで使用されていたものが、払い下げ品で出回ったり、働いていた方から譲り受けたりしたからで、おしゃれな食器だからという感覚よりも、やはりモノがない時代、使えるモノは何でも利用したという方が正解でしょう。現在、このデザインは愛好家の間でも人気があり貴重なものとなっているようです。