今月の人

強く思い続けることで夢は叶う!

243. 舎堂 さくら(いしゃどう さくら)さん(13)

舎堂 さくら(いしゃどう さくら)さん

今年で三十回を迎えたピースフルラブロックフェスティバルに十三歳の女の子が初出場した。十三歳での出場はピースフル史上最年少だ。出場バンドを決める最終オーディションで実力のある八組の中から見事出場枠二枠のうちの一枠を勝ち取り、五歳のころからの夢を叶えた。今月はさくらさんに、ピースフルへの意気込みや今後の活動について話を聞いた。

さくらさんは、二歳の頃から歌や音楽が大好きで、教会の聖歌隊に入り歌っていたが、五歳の時にピースフルラブロックフェスティバルを初めて見て衝撃を受け、自分もいつか出演したいと思うようになる。そのピースフルのステージの中央で、ドラマーが力強くドラムを叩く姿を見て「かっこいい」と思い、自分も「ドラマーになる」と決意する。

小学校に入学すると、ディアマンテスのサポートメンバーである當間 嗣篤さんのドラムスクールへ通い始め基礎からいろいろ教えてもらう。今でも毎週ドラムスクールに通い、目標とするミュージシャンも當間さんだ。

六年ほど前から、県内各地の祭りやライブハウスで演奏を始め、大先輩のアーティスト達のライブにも飛び入りで参加し、腕を磨いてきた。去年開催された「世界のウチナーンチュ大会」でも演奏した。

去年から、作詞・作曲にも取り組んでいる。ピースフルへの出場の条件で自身のオリジナル曲を持っていないといけないため、昨年の十一月に東京のライブで知り合ったグレート義太夫さん(お笑いタレント、ミュージシャン)のプロデュースで今年四月に『がんばれオンナノコ』という二曲入りのCDを発売し、ピースフル出場オーディションに応募した。そして、見事出場を勝ち取った。

さくらさんは、ピースフルが大好きで、小学生の頃からボランティアとしても関わってきた。去年のピースフルでは、同じボランティアスタッフに「来年は絶対にさくらが出る」と宣言していた。そしてその言葉通り出場を果たした。夢は思い続け、言い続ければ叶うのだ。

さくらさんに次の目標を尋ねると「沖縄市の観光大使になりたい」と意外な答えが返ってきた。また、「沖縄市の兄弟都市である大阪の豊中まつりにも出たい。そして市長にもなりたい」と答えてくれた。

ピースフル当日、彼女のダイナミックな演奏が豊中市からの視察団の目に止まり、八月四日に行われる豊中まつりへの招待が決定した。今回も有言実行だ。次は観光大使で、将来的には市長にもなれるかも。まだまだ若い彼女の挑戦は続いていく。

▼戦後文化シアター 今月のヒストリート

■ヒストリート、ヒストリートU/TEL:929-2922

復帰記念たばこ「MAX TOKYO」
▲復帰記念たばこ「MAX TOKYO」新生沖縄県の文字が見える。

「おとひめ」「うらしま」「ピンク」「サンライト」「スカイライン」「バイオレット」の言葉で浮かんでくるモノは?

正解は沖縄産たばこの銘柄です。

戦後の産業振興の波に乗って一九五一(昭和二六)年、沖縄で第一号のたばこ会社、琉球煙草会社が設立。五年後にはオリエンタル煙草株式会社が、五七年には沖縄煙草産業株式会社が設立されました。

沖縄のたばこ産業は、外国企業の参入や本土からの輸入品に対抗するため、地元たばこ産業の保護・育成に支えられながら積極的な商品開発に取り組んでいきました。

特に琉球煙草の「ピンク」という商品は原料も加工も島産両切たばこ第一号で外国産のような甘い香りが特徴で、島内トップの銘柄となりました。たばこ産業は戦後の沖縄の財政に重要な役割を果たします。

その後、ベトナム特需に伴って闇アメリカたばこが盛況を極めると、島産たばこの売れ行きにも影響を与えたようです。

本土復帰に伴い、自主廃業という方向で保証金や従業員の再就職など折り合いがつき、専売公社へと移行しました。当時、上位四銘柄のバイオレット、うるま、ハイトーン、ロン(現在無し)はそのまま取り扱う事になりました。

ヒストリートUでは復帰四〇年の企画展開催中です。当時斬新なパッケージであった「ピンク」も展示中!ぜひご覧下さい。