今月の人

女性が笑顔になれる心と体の健康サポートを

241. 桑江 喜代子(くわえ きよこ)さん(62)

桑江 喜代子(くわえ きよこ)さん

 今月紹介する桑江喜代子さんは、女性の幸せのために多くの活動を行っている。沖縄市の女性団体連絡協議会の会長も務め、女性の地位向上に向けた活動を行うかたわら、これまでの助産師の経験を生かし、妊産婦や子育て・思春期の電話相談、学校での講演なども行っている。来年の一月には念願であった母子未来センターも開設予定だ。今月は桑江さんに、女性の健康についての思いや今後の展望について話を聞いた。

 桑江さんが助産師を目指したのは、高校生の時に、離島の妊婦がヘリで緊急搬送されたニュースをラジオで聞いたことがきっかけだ。その時に、助産師になり地域で活動したいと思ったのだそうだ。その思いを胸に、県立那覇看護学校助産学科を卒業後、東京の都立産院に勤めるが、沖縄で看護教員をして欲しいとの話があり、帰郷し十年ほど看護学校の教諭を務める。その後、自身の出産と育児で二年ほど休んだ後、上村病院に助産師として勤務し去年退職するまで二十五年もの間、その優しい笑顔で、たくさんの妊産婦を支えてきた。
 桑江さんは助産師として妊産婦を支えただけではなく女性の地位向上のために多くの活動も行ってきた。沖縄市の女性団体連絡協議会の会長や、国際ソロプチミスト沖縄‐球陽のメンバーとして女性の地位向上に向けたボランティア活動を行っている。また人権擁護委員としても活動しており、子ども達に命や人権の大切さも説いている。他にも、子育て・女性健康支援センターの電話相談員も務め、子ども達が望まない妊娠や性感染症を予防するため、小・中・高校で性教育の講演も行っている。こんなに多くの活動をして体は大丈夫なのか心配になるが、自分を必要としている声がある限り、活動を続けていきたいと考えているそうだ。
 平成二十二年から沖縄県助産師会の会長にも就任し、現在、沖縄市婦人の家跡地に沖縄県助産師会母子未来センター開設に向け奔走中だ。母子未来センターは、妊娠・出産から子育てまで助産師が寄り添いながら継続的に支援を行い、また、思春期・更年期・老年期の相談も行うなど女性の一生のパートナーとして支援していく拠点を目指している。家にこもりがちな母親同士の触れ合いの場や、気軽に悩み事相談のできる場所になって欲しいと願っている。また、母子未来センターを中心に中央パークアベニューに親子が一緒に楽しめるカフェや、絵本・おもちゃの専門店などができ、こどものまちとして中心市街地の活性化につながることも期待している。
 桑江さんの助産師としての熱い思いと活動はまだ続く。

▼戦後文化シアター 今月のヒストリート

市史編集担当/939-1212(内線2273)
ヒストリート、ヒストリートU/929-2922

40年ぶりにお目見えのなつかしの筆箱
▲40年ぶりにお目見えのなつかしの筆箱

 沖縄市戦後文化資料展示室「ヒストリートU」において、復帰40年特別企画展「アメリカ世からヤマトゥヌ世へ@復帰の顔」(8月12日まで)を開催しています。石川文洋氏が撮影した復帰前と復帰当日の写真(53点)、また、復帰記念メダル、カレンダー、沖縄ふろしき、琉球切手など復帰に関するモノや米軍統治下時代に使用されたモノ(約500点)を展示し、諸資料から様々な「復帰の顔」を紹介しています。
 40年前の復帰の日、県内の各小学校では、日本政府からの贈り物が配付され、その一つが当時、社会現象を起こす程の大ヒット商品となったスマイルマーク(ニコニコマーク、スマイリーなどとも呼ばれる)の筆箱や下敷きなどでした。サンスター文具株式会社の[ラブピース]シリーズで発売されたこともあって、ベトナム反戦運動のシンボルとして使用されたピースマークと混同されてしまうこともあったようです。
 さて、このスマイリー・フェイスをデザインしたのは、米国のハーベイ・ボール氏で、なんと彼は「沖縄戦」を経験し、同郷の仲間十数人が戦死するなか、彼一人だけが生き残ったことで、その後、他人に奉仕をすることが自分の生き方だと考え、ボランティア人生を歩んだとのことです。
 沖縄の将来を担う子どもたちに手渡された贈り物には、「沖縄戦」「ベトナム戦争」「復帰」のメッセージが秘められていたのでしょうか・・・