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クスケー由来

クシャミをしたらなぜ「クスケー」というのか (クスケー由来・七・五・三の由来)

 昔、山原にたいそう大金持ちの夫婦が住んでいました。長い間子供に恵まれなかったので、<こんなにたくさんお金があっても、子供がいなければヌーンイリヨーネーン(何も必要ない)>といって、妻が妊娠しているのも知らないで、男は那覇の辻へ行ったそうです。 男は辻にいりびたり10か月経つ間に子供が生まれたので、使いのものが辻に行き、「チャクシボージャーナチェンドー(嫡子がうまれたよ)」と知らせると男はたいそう喜び、ジュリ(遊女)には何も言わずに、使いにきた人と一緒に飛んで帰ったそうです。ジュリは買い物に行っている間に男がいなくなっているのを知ると、あまりのショックのため死んでしまいました。 /p>

 山原では明日の四日ジールで盛大な祝いを行おうとしている日で、男は、「ジュリを呼んできて祝いの座を盛り上げさせなさい」と言われたので、ジュリを迎えに出向き、日が暮れかかった頃、嘉手納の比謝矼のところでマジムンになったジュリと出会いました。ジュリは、「私をうっちゃって行くなんて、あなたは情けもない。私は今、あなたの家を訪ねて行こうとしていた所なんですよ」男は「すまん。私が悪かった」と事情を話し謝りました。女はだまったままでいたが、男が「今日は、子供の祝いがあるので私の家に行って、一緒にお祝いをしてくれないか」と言うとジュリは、「いいですよ」と承諾しました。男が、「あなたは天川という曲を覚えているか」と聞くと、「覚えています」と答え、その曲をうたったので、今でもその地は天川と呼ばれている。

 2人が山原に着く頃には日も暮れて、家ではお客さんが沢山集まり三線が弾かれ賑わっていました。ウシーマールーモーイ(順ぐりに踊ること)で一人ずつ踊っているうちにジュリの番になり踊っているのを、クチャ(裏座)にいる妊婦が節穴から覗いて見たらジュリの胴から上は見えるが足がみえなかったそうです。驚いた妊婦は<これはマジムンにちがいない>と近くにいる青年を呼び、藁を持って来させ左縄を七・五・三になわし(悪風返し)て妊婦のいる廊下に下げさせました。妻が大きな声を上げたので、男は妻がジュリに嫉妬をしていると思っていたらしいが、妻は気が気でなく夫を呼んでもらい節穴から覗かせると、妻の言うとおり下半身がなかったそうです。妻が「マジムンは鶏の声がすると逃げていくので、誰かをフールに行かせクバオウギを2つ持たせバタバタ羽ばたせながら『ケッケレー』と鶏の鳴き声をさせなさい」と言いつけ、そのようにさせるとジュリは、「私は帰りましょうね」と帰って行ったらしい。妻は夫にあとを追うようにいうと、「アア、ウトゥルサヌ(なんておそろしいことを)」といやがっていたが、「マジムンはけっして振り返ることはないから大丈夫です」と言うので、あとをつけてみると、マジムンはジュリ墓の方に行ったそうです。
墓の側で様子を伺ってみるとジュリが、「ここを開けてください」と言うと、墓の中から「だめだ。こんなに遅く帰ってくる者は入れない」と言われ、「それなら、どうしたら入れてくれるのですか」「今日お祝いした赤ん坊の魂を取ってきたら入れてやる」「それはどうして取るのですか」「子供の鼻をくすぐってクシャミをさせて取りなさい。それでだめならハンドゥー(水瓶)に毒を入れて窒息させなさい」といわれたそうです。

 墓でのやりとりを聞いていた男は大変驚いて急いで家に戻り<どうしたらよいものか>と考えていると妻は、「おちついてください。クシャミをしたらクスケー、2回したらメークェーといいなさい」と教えたので、その通りにした。すると今度はひきつけをしたので、茶碗に水を入れてもって来させ、フーと息を吹きかけてから飲ましたので、マジムンは子供の魂を取ることができなかったそうです。

 四日ジールーが夜通し行われるようになったのはこの伝え話から始まり、それ以来クシャミをすると『クスケー』と言うようになったんだと・・・。

沖縄市文化財調査報告書第26集『むかしばなしⅠ』
2002年沖縄市教育委員会

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