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◆ 広報おきなわ(bR58) 4月号

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第14回沖縄市国際交流
フェスティバル
表  紙
 
身障者の方々の力強い味方
<144>金城 睦雄さん(65)
沖縄市身体障害者協会という組織がある。会員の自立更生を助け生活の向上と会員同士の親睦を目的に昭和三十八年に結成された。コザ市の前進、沖縄市身体障害者協会が今年で四十周年を迎えた。

今月号は平成十三年に同協会の会長に就任し、今年で三年目を迎える金城さんに登場してもらい、同協会のけん引車としての新なる思いや課題、個人的なエピソードなどを聞いてみた。
現在、会員は七百六十三人。、リハビリ友の会、視覚部会、聴覚部会の三部会で構成、組織運営しているのが市身体障害者協会(市身障協)。大所帯である。会員の自立更正と福祉向上を目指す。三年前に同協会の会長に就任、会員のまとめ役として日々奮闘している金城さんにいろいろ話を伺ってみた。

金城さんは昭和三十七年にコザ市役所へ勤務。職員として、平凡な日常を送っていたが昭和四十四年に職域野球の練習試合で足を怪我し、身障者となった。その後は五年位精神的に落ち込んでいたという。そんな金城さんを励ましてくれたのが、二代目会長の喜納昌範さんだった。人前に出るのをおっくうがった金城さんを何度か通い叱咤激励した。それから、しばらくして身障協の大会など各行事に参加するようになった。「自分のように悩んでいる身障者の方もたくさんいると思うんですがね」とつぶやく。昭和五十年に市身障協の役員へ、平成十一年に副会長、十二年に会長代理を務め、現在の職に就いた。会長職の傍ら、県身障者相談員、県身障者福祉協評議員、市社会福祉協評議員、市選挙管理委員などと多忙な毎日を送っている。真面目で常に前向きな会長は市身障協の現状を「県身障者スポーツ大会をはじめ、県や市の各行事に市身障協として参加しているが、並行して身障者の就職、悩みごと、生活支援などの相談業務も行っている。その相談業務の中には、一日を要することもあるんです。現在の事務局体制では厳しい勤務状況で、身障協の将来を考えると事務局の強化と若い会員の参加が急務で大きな課題ですね」と話す。そして、これからの取り組みについては「高齢化した組織を活性化させるためにはやはり若い会員の獲得がどうしても必要。しかし、若い方々や家庭に引きこもりがちな身障者又、重度障がい者を支えている家族の悩みなどはどうなっているのか、そんな情報が皆無に近いんです、そのような事柄を解決するためには、地道に一軒一軒、家庭を訪問することが大切で、そういう業務の強化が重要だと思うんです。そのためにも行政の支援が必要でタイアップしてやっていきたいと思っています。又、今年度からは法人化の準備にも着手したいですね」と、もの静かな雰囲気の中に強い闘志、意欲をみなぎらせる。多忙な日々だとは思うが、趣味についてたずねてみた「囲碁です」と即座に返ってきた。「実は定年後は囲碁クラブの経営が夢だったんです。建物を探し回っていた時期もあったんだが、予期せぬ会長の話がもち上がり、ついに断念です」とニガ笑いを、更に「二十年程前に囲碁に夢中になり毎週土曜日は朝帰りするようになってね、ついには家内に誤解されて、さんざんなめにあった事があるんです」とエピソードも。そして、もう一つの趣味は料理。「囲碁びたりで不規則な生活がもととなり血圧が上がってきたんです。保健婦に、このままでは定年までもちませんよ、と驚かされて健康管理のために料理を勉強するようになったんです」と目を細める。平成八年に実施された男の料理教室の受講生が月二回料理の研鑽と親睦を目的に立ち上げた会、「男の料理」が今年で八年目を迎えるが、その会の会長も務めている。好きな言葉は「忍耐」。モットーは「人生はバランス」。のん気であわて者という本人だが、正直な人柄、人望のあつさは誰もが認めるところ。これからも市身障協を強化しながら常に前向きに突き進んでいく。
  

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