今月の人

学ぶ喜びに笑顔があふれる

276/嘉納 初子(かのう はつこ)さん(82)

 沖縄県では、戦中戦後の混乱期に義務教育を受けることができなかった方が大勢おり、県ではそのような方たちが義務教育を修了するための支援事業を行っている。今月は、晴れてそのカリキュラムを修了し中学校の卒業証書を手にした嘉納初子さんに、学ぶ喜びや卒業への思いを聞いた。

嘉納 初子(かのう はつこ)さん

 沖縄県では、戦中戦後の混乱期に義務教育を受けることができなかった方へ就学機会の提供と卒業に相当する証書の発行を行う義務教育未修了者支援事業を行っている。この事業は、対象者が学習を希望した場合に、公立中学校に籍をおきながら、民間の教育施設、公立中学校、またはその両方で学ぶ3通りの学習方法から選べる仕組みとなっており、嘉納さんは、NPO法人エンカレッジの沖縄市にある教育施設で3年間学び、晴れて3月13日に卒業証書を手にした。
 嘉納さんは、6人兄弟の2番目、長女として糸満市で生まれ、小学生の時に太平洋戦争が始まると、学校では授業はあまり行われず、軍の奉仕作業に駆り出された。戦後、兄は学校に通ったが、嘉納さんとすぐ下の妹は、母親の手伝いをしなければならず学校に通うことができなかった。畑仕事の手伝いや洋裁店の見習い、雑貨店の店員など様々な仕事に就き、母親や下の兄弟たちを養うために働いた。結婚後も洋裁店の下請けの仕事をしながら4人の子供を育てあげた。その間もずっと学びたい気持ちが心の中にあったそうだ。そんな嘉納さんの気持ちを知っていた息子さんが義務教育未修了者支援事業を知り、受講を勧めてくれたことから、嘉納さんは平成24年に就学した。
 学校の授業は、平日1時から4時までの3時間で、ほぼ中学校と同じ教科を学ぶ。通常の教科書は使わず、教師が個々に応じた教材を作り授業を行う。理科の実験や遠足、宿題や日直など学校生活を体験できる。生徒たちは楽しく通学しているが、高齢のため、体調不良になることもあり、継続して通うことが難しい場合もあるそうだ。嘉納さんも徒歩による通学が厳しく、電動のシニアカーで3年間通学した。嘉納さんにとって学校に行くことは、学生の頃の気持ちに戻ることができ、勉強も理解できるまで丁寧に教えてもらえて、毎日充実した時間を過ごすことができる貴重な経験だった。また、指導した教師も嘉納さんの学ぶ情熱は誰よりも強かったと話す。
 嘉納さんは「毎日がとても楽しかったので、他の人にも勧めたい。忙しい思いをしたけど卒業できて今は『ホッ』としているし、自分が卒業したことを子供や孫が喜んでくれたことが一番うれしい」と語った。でも、やっぱり淋しさもあるようで「金曜日のパソコンの授業だけでも参加したいなあ」と笑った。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 1960年代から現在にかけて、度々来沖し、沖縄をテーマにした写真を撮り続けている石川文洋氏の写真展「石川文洋が見た沖縄」展がヒストリートUで開催中です。
 3月の新聞紙上において「沖縄の核 発射誤命令」という報道がありました。これは、62年に起きた「キューバ危機」の際、沖縄のミサイル部隊に核攻撃命令が誤って出され、現地指揮官の判断で発射が回避されたという内容でした。誤発射命令が出された同年10月28日はキューバ上空で米軍偵察機が撃墜され、緊張が最も高まった時期で、米軍内に混乱があったとみられています。
 写真の黒いスパイ機SR71は、キューバ危機で撃墜されたU2偵察機の後継機で、同機の撃墜事件を受け、高々度で超音速飛行を行い、ミサイル迎撃を回避することを目標に開発されました。SR71は嘉手納基地にも配備され、2万4000qの高空をマッハ3以上で飛行し東アジアや東南アジアの偵察にあたり、その異様な形状と夜間に出撃することから、現地部隊では「ハブ」(Habu)と呼ばれていました。その後、運用コスト高や偵察衛星の進歩により、90年には嘉手納基地から姿を消し、98年に正式に退役しました。

黒いスパイ機 嘉手納基地 1989年
黒いスパイ機 嘉手納基地 1989年 撮影:石川文洋
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