今月の人

テニスを通して仲間と充実した日々を過ごす

259 藏本 幸一(くらもと こういち)さん (74)

 今月は退職後にテニスを始め、数々の大会で優勝している藏本幸一さんを紹介する。藏本さんは、高齢者による全国最大のスポーツ・文化・健康・福祉の祭典である「ねんりんピック」にも2回出場し好成績を収めている。大活躍の藏本さんにこれからの目標やスポーツ愛好家たちへ伝えたいことを聞いた。

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 藏本さんがテニスを始めたのは、定年退職をきっかけに何か新しいチャレンジを考えていたところ、新聞広告で見つけた「テニス初心者講習」に申し込んだことがきっかけだ。テニスは初心者だったが、その時の指導者にテニスに向いていると言われ3年間みっちり指導を受け練習していくうちにどんどん上達していった。それもそのはず、学生及び現職時代を通して野球をはじめ様々なスポーツを経験し、越来小学校で校長を務めていた際はバドミントン部を発足させ、自ら顧問として指導し、わずか1年で県大会準優勝の成績を収めるまでに導くなど、運動に関するセンスは抜群なのだ。
 テニスの練習を重ね県大会や各市の大会にもダブルスで出場し何度も優勝して新聞の紙面も飾った。現在は那覇市と沖縄市の2つのテニスクラブに所属し、毎日クラブ仲間と実践練習を積んでいる。
 藏本さんは毎日休むことなく練習をしている。平日は朝の10時に那覇市の練習場に向かい夕方4時まで休憩をはさみながら仲間とダブルス中心の実践練習を行う。メンバーの中には藏本さんよりはるかに若い30代のメンバーもいるが、一緒になって練習をしている。週末は沖縄市のクラブ仲間と練習をし、テニス漬けの毎日だが全く飽きないそうだ。
 高齢者による全国最大のスポーツ・文化 ・健康・福祉の祭典である「ねんりんピック(全国健康福祉祭)」の北海道大会(2009)、熊本大会(2011)にも出場し好成績を収めた。9月に行われた、来年開催予定の「ねんりんピック栃木大会(2014)」の選考を兼ねた第5回沖縄ねんりんピックテニス交流大会でも3戦全勝で優勝し、見事栃木大会へ出場の切符を手にした。
 藏本さんは「テニスを通して多くの人と出会い、仲間との楽しい時間も増えた。健康増進にも最適で毎日充実した日々を過ごすことができる。テニスは何歳からでも始めることができるので、興味がある人はぜひ始めて欲しい」とテニスの魅力を語る。また、「大きな大会へ出場する人は那覇を中心に南部の人がほとんどなので、沖縄市のテニス愛好家達も、もっと大会に出場し、チャレンジして欲しい」と話している。
 ねんりんピック栃木大会へ出場する時は75歳。まだまだ現役だ。

戦後文化シアター 今月のヒストリート

 「ヒストリートU」では、好評につき「戦世(イクサユー)の子どもたち〜コザ収容所の孤児院展」を開期延長し展示しております。
 1945年(昭和20)7月中旬、約800人に達したコザ孤児院の子ども達でしたが、収容された中には、病気やケガで命を落とす子ども達も大勢いました。その一方で多くは、家族や親類、または里親となる家族のもとに引き取られ、翌年8月頃には63人まで減少したようです。
 1953年の琉球政府文教局の調査によると、沖縄群島内に、両親ともにいない小中学生は約4,050名を数えました。そして、その多くが戦争孤児だったと言われています。1950年代の新聞に目を向けると、孤児院から引き取られた子ども達の、その後の人生を窺(うかが)い知ることができます。離島の家族に引き取られ、我が子同然に育てられた後に、終戦から5年後、実の母親と再会した子ども。また、親戚に引き取られても、満足に学校に行かせてもらえなかった子どももいたようです。
 コザ孤児院は1949年、沖縄厚生園へ統合され閉院しますが、収容された子ども達は様々な境遇のもと、長い「戦後」の人生を歩んでいるのです。
 これまで、殆ど語られてこなかった、孤児達の戦争と戦後の体験。沖縄市は彼らの声に耳を傾け、彼らの歩んだ歴史を記録していきたいと思います。

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コザ孤児院慰霊祭
2013年11月4日
先生と68年ぶりの再会

  • ■市史編集担当/TEL:929-4128
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