更新日:2022年3月1日

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沖縄戦

沖縄戦
皆さんは、沖縄戦をしっていますか?
今から、約70年前に起こった出来事を、これからお話します。

青い空と、エメラルドの海
海には、熱帯魚やサンゴ
山にはヤンバルクイナ、ノグチゲラ、イリオモテヤマネコなどめずらしい動物や昆虫がたくさんいました。
その沖縄で、人々は助け合いながら生活していました。
そんな沖縄に、とてもおそろしい出来事が起こりました。それは戦争です。

1944年7月、沖縄から本土への疎開が、始まりました。
疎開とは、住民が戦争に巻き込まれないように、遠くへ避難することです。
1944年8月21日、沖縄から長崎へ向け、出港した「対馬丸」は、アメリカ軍の魚雷によって沈没しました。
「対馬丸」には、1788名が乗船しており、小中学生、780名を含む、1485名の人がなくなりました。

沖縄の地上戦は、1945年3月26日の、「慶良間上陸」からはじまりました。
今から約70年前のことです。
4月1日、アメリカ兵は、読谷から北谷にかけて、上陸しました。
アメリカ軍の船は、約1500隻、アメリカ兵は、約55万人いました。
それに対して、沖縄にいた日本兵は、約11万人であり、圧倒的な兵力の差がありました。

住民は、攻撃を避けるため、ガマや防空壕に隠れていました。
壕の中はせまく、薄暗く、また、たくさんの人がいました。
戦争の頃の服装は、目立ちにくい色の、「のらぎ」や「もんぺ」といった服をきていて、子供は、親の着た服を使いまわしていました。
生き延びるために「イモ」などを食べていましたが、だんだん食べ物がなくなり、栄養失調で亡くなる子どももいました。

沖縄戦は、兵隊だけではなく、住民も巻き込んだ戦いでした。
中には、14歳から17歳の子ども達も戦場へと駆り出されました。
アメリカ軍は、陸上や海上から、集中砲火をあびせ、1平方メートルあたりに1発の割合で砲弾が降ってきました。
火炎放射器や手りゅう弾などで、ガマなどを、ひとつひとつ攻撃してつぶし、投降に応じない、日本兵や住民を無差別に殺害していきました。
アメリカ兵に捕まったり、残酷に殺されるよりは、自分達で死んだ方がいい、といった教えがあり、たくさんの人が一緒に死ぬ「集団死」といった事も起こりました。
多くの尊い命が奪われ、アメリカ兵が「ありったけの地獄を一つにまとめた戦争」と表現したほど、悲惨で想像を絶する戦争でした。

アメリカ軍の攻撃が、これまで以上に激しくなり、追いつめられた日本兵の中には、ガマや防空壕などに隠れている、住民を追い出したり、沖縄の方言を使った人を「スパイ」だとみなし、殺害することもありました。
戦争という極限状況においては、人間が人間としての正気を失い、想像を絶する行為に及ぶこともあったのです。

沖縄戦で亡くなった、全ての人の数は、約20万人。
その内、沖縄県民の犠牲者は、約12万人にもなりました。
しかし、研究者の間では、沖縄県民の犠牲者は、15万人以上と考えられており、4人に1人が亡くなったと言われています。

1945年6月23日に「牛島司令官」が、自ら命を絶ったことで、戦争は終わったと思われていますが、正式には、9月7日に日本が負けたことを認め、文書にサインをしたことで、沖縄戦が終わりました。
それは、アメリカ軍上陸から、約5ヶ月後のことでした。

戦争が終わった現在も、様々な問題を抱えていますが、青い空、青い海に囲まれたこの島には、笑顔があふれ、多くの人々が助け合いながら生きています。

今を生きる私たちが、戦争について様々な視点や立場から考えることが、大切ではないでしょうか。
おじー、おばーから託された「命と平和」のバトンを後世へと繋いでいくために...。

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