更新日:2022年3月1日

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沖縄戦の歴史

沖縄戦について

鉄の暴風と形容された沖縄戦は、敵の砲弾にあたって死んだ人、猛烈な機銃掃射のなか、日本軍によって壕から追い出されて亡くなった人、いわゆる集団自決を強要された人たち、毒薬を注射されて死んでいった子どもたち、日本軍によってスパイ視され殺された人、自らの手で家族を死に追いやった人、異郷の地で命を落とした人、そしてマラリアや飢えで死んだ人等、沖縄戦はまさに地獄絵さながらでありました。

戦前の沖縄県の人口は約49万人で、戦没者が約12万人。4人に1人が亡くなったことになります。

沖縄戦の実相へのリンク

沖縄市における沖縄戦へのリンク

廃墟と化した首里の街の写真

廃墟と化した街(1945年 首里) 沖縄県公文書館より提供

沖縄戦の特徴

  1. 全島要塞化
    • 住民総動員―飛行場建設や陣地壕づくり
    • 「一木一草といえどもこれを戦力化すべし」
  2. 戦略持久作戦
    • 本土上陸を遅らせる時間稼ぎの作戦、捨て石
  3. 軍民混在の戦場
    • 日本兵による壕追い出し、食糧強奪
    • 砲弾は軍人と住民を区別しない。
  4. 住民虐殺
    • 「軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁ず。沖縄語を以て談話しある者は間謀とみなし処分す」
    • スパイ嫌疑により虐殺(赤松事件、今帰仁事件、本部校長事件など)
  5. 集団自決
    • 壕追い出しと避難拒否、投降阻止
    • 日本軍の駐屯-座間味、慶良間、読谷、沖縄市、南部など
  6. 米軍支配の長期化

楚辺の捕虜収容所の写真

楚辺の捕虜収容所の住民(1945年4月4日読谷村 楚辺)
沖縄県公文書館より提供

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