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廃墟と化した街(1945年 首里) 沖縄県公文書館より提供
鉄の暴風と形容された沖縄戦は、敵の砲弾にあたって死んだ人、猛烈な機銃掃射のなか、日本軍によって壕から追い出されて亡くなった人、いわゆる集団自決を強要された人たち、毒薬を注射されて死んでいった子どもたち、日本軍によってスパイ視され殺された人、自らの手で家族を死に追いやった人、異郷の地で命を落とした人、そしてマラリアや飢えで死んだ人等、沖縄戦はまさに地獄絵さながらでありました。
戦前の沖縄県の人口は約49万人で、戦没者が約12万人。4人に1人が亡くなったことになります。
楚辺の捕虜収容所の住民 (1945年4月4日読谷村 楚辺)
沖縄県公文書館より提供
1. 全島要塞化
2. 戦略持久作戦
3. 軍民混在の戦場
4. 住民虐殺
5. 集団自決
6. 米軍支配の長期化
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